あ し あ と 。

生きてます。自由に。

立春の「本命属星祭」

ようやく不食ネタも一段落ついたので

 

いや、まだまだあるけど日常も書かないと滞っちゃって結局イラっとしてやめた某ブログみたいになるじゃん!!

 

というわけではてなでは初になる旅ネタ。

 

 

夫が本厄な今年。

これから色々とあるだろうと思われる今年。

 

ガッチリ厄払いをせねばと思っていた今年。

 

節分の日に、北海道神宮で初穂料を多めにして…と思っていた矢先に

 

 

去年、伊勢へ行った時に知り合った

あの陰陽師で名高い安倍清明公の御子孫という神主さまから「本命属星祭」なる祭典にお誘いいただいた。

 

以下、Facebookの招待メッセージより

 

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朝廷陰陽道二大行儀 「本命属星祭」(ほんみょうぞくしょうさい、もう一つは8月初旬(八朔)の「八朔祭名越祓」)

 

朝廷で行われていた古式のままに北辰(北極星)と北斗七星、すなわちご祭神「天御中主神」をお祀りする日本一社陰陽道宗家で最も重要な祭典の一つです。

 

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ぬぬぬ。

 

聞けばその際に厄払いもしてくれるとのこと。

 

陰陽道の祭典で厄払い!

強力そうではないか!!

 

場所は大阪・天社宮(あめのみやしろのみや)だが

北海道神宮で多く包むより大阪まで行く方がご利益ありそうな気がする!!

 

っていうか、夫の厄年を理由にわたしが天社宮に行ってみたいだけ!!

 

というわけで、たまったマイルを利用してレッツ大阪!

 

 

今思えば何故不食のふたりが「空港でラーメン食べよう」ということになったのか…

 

「雪あかり」という店名だけで入店。

野菜塩と味噌のハーフ(麺が半分)。

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これが…

失敗だった。

 

すいません。悪口では無いのです。

わたしたちの身体とはもう合わない、というだけです。

 

おそらく化学調味料が、完全に受け付けないのだと思われ

飛行機内は胸焼けというか吐きそうなのを抑えるのに必死であった。

 

しゅわろげん(しゅわさかさん&パイロゲン)飲んで、胃を洗浄的な感じで少し復活。

 

 

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着物旅も慣れて来ました

 

 

で、久々の伊丹空港に到着。

伊丹空港ってこんなに小さかったっけ。

 

それにしても大阪、あったけぇ〜ポカポカやで〜

 

一度ホテルに入り、お着替え。

普段着からちょっと良い着物に。

夫も和装に。

 

伊丹からモノレールで移動中に初めて岡本太郎の「太陽の塔」を見ましたよ!!

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想像よりデカかったし

想像よりメジャーな(人が沢山集まる)公園にあることに少し驚いた。

勝手に「すこし寂れた場所に忘れられた遺物」みたいになってるのかしらと思っていたので。

岡本太郎さん、大阪のみなさん、ごめんなさい。

 

 

その後、最寄り駅からタクシーの予定が駅にタクシーがおらず

「遅刻だー!やべー!」と焦りながら移動してなんとか乗車したものの

現地の場所がわからないというプチハプニングがあったり

到着しても全然時間通りに始まらなくて(一時間以上は歓談していたような…)

ずっこけたりしましたが

 

 

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この五芒星。安倍家の家紋でもあります。

 

準備中。火打石を叩いております。

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厳かに祭典は始まりました。

 

黒の装束を身につけておられるのがお誘いくださった安倍さん。

朱の装束は、安倍さんに出逢うきっかけを作ってくださった

去年参加した皇居勤労奉仕の団長でもあった松浦さん。

愛知県在住の彼には物理的な距離は関係無く多くの影響を受けております。

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この先は野暮な説明も必要無い(そもそも説明出来ない)ので

写真をどうぞ。

 

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最後に巫女舞(剣の舞)があったのですが

このときに神様達が非常に喜んでおられるのを感じましたよ。

 

玉串奉奠もさせていただき…

無事終了。

 

なんというか、カタチだけではない

本当の神事を見た気がします。

 

参列させていただいて、本当に良かった。

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祭壇

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供物にロマネスコって珍しいですね!と言ったら「渦をあらわした」とのこと。

なるほどーーーーーーー!!

 

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昆布も立派でございました!

 

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一番上は五色米。

左から黒米、白米、玄米、赤米、緑米

餅も立派だすなー!

6kgあって「受け渡しのとき腕がプルプルした」とのことwww

 

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見た目もさることながら音色もそれは美しい銅鐸。

 

 

 

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その後わいわいと撮影会。

たまに良い着物なのでおすまし。

 

 

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でも自然な笑顔が一番やね〜〜〜

 

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地元大阪はもちろん、兵庫、愛知、富山、遠くは我々北海道、全国から集まった皆様。

はじめましてもおひさしぶりも、素晴らしきご縁でございました。

 

 

さて、歓談も尽きないのですが

お腹も減りました…いえ、単に酒が飲みたいだけだったんですが…

直会、なおらいですよ〜〜〜〜!!

 

祭壇に上がったお野菜&鯛のお鍋っ!!!!!!

美味しい〜♡

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はいはい、お酒、お酒をくださいっっ!!←アル中w

まずは地元のお酒から!お鍋と非常に合います!!

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そしてなんともありがたい、出雲大社にあがったというお酒まで!!!!!

神遊という名前もなんとも素晴らしい〜〜〜〜

大変美味しゅうございました。

んも〜呑まさって大変だべさ〜〜〜〜ヽ(*´∀`*)ノ

(そして酔っぱらって↑この『〜さる』という北海道弁の便利な活用法を熱弁してきましたよ!!)

 

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何故か始まる袴の着付け教室…

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やはり男の正装に袴は欠かせませんのでこの機に着方をマスターいたしましょう!

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酔っぱらって教えてもらっても覚えてねーだろと思っていたが

帰って来てしっかり着れていた…

やっぱ頭良いんだなー我が夫。

 

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素敵よ、あなた♡

 

 

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なにやら熱く語っているご様子…

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そしてなんともシュールなwwww

(良いのか…こんな写真載せて…)

 

 

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 女共も酔っぱらいでござるー♪

 

 

さて、夜も更け、翌日朝イチの便に乗る我々はいい加減帰らないば。

つーか、なんかもう途中から記憶無いんだけど…(いつものこと)

 

 

 

そして翌日。

二日酔いも無く…

いや、完全に残っていたが大浴場とパイロゲンで抜いた!!

 

 

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着物もささっと着れちゃうもんねー

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余裕だなwww

 

 

ポカポカ陽気で気持ち良かったのが一転

帰りは雨の大阪。

 

飛行場、雨、和服…

 

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「あぁぁめのくぅこぉぉぉぉ〜〜〜〜〜♪」と

思わずテレサテンを口ずさんでしまうシチュエーション。

 

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 さよなら大阪、また来るよ!

 

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787meets787であります!(良く知らんけど夫が喜んでいた)

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ただいま北海道!

 

どんなに寒くても、やっぱり北海道が好き!

上空からクリーニング、クリーニング。

 

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ぐふふふふふふふふふ

551の豚まんー!とラブリーなビール♡

 

肉まん、というかひき肉じたい、胃もたれするので食べないのだけど

これだけは別なの!

コンビニの肉まんは全然食べれないけど、これは大丈夫なの!!

 

約2ヶ月ぶりの肉!!

前回はトンカツ食べて喘息出たぞ〜しかもひき肉だぞ〜

どーなる!?

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はふはふ。

 

はぁ、美味しいー!

もう、チビ雪大満足!珍しく一気食いした。

 

もちろん、その後、胃もたれすることもなく喘息の発作もおきなかった。

 

翌日も、美味しい美味しいと食べた。

 

うん、そういうこと。

 

 

今までの大阪旅行はまさ食いだおれだったけど

これからは本当に食べたいものだけになるだろうなー

 

今回は神様のおさがりと豚まんだけで充分満足でした。

(と結局〆は不食ネタ?)

 

 

 

食じゃなくていい!魂の栄養を摂る。 【その四 スキンシップ】

これもまた書く必要あるか?という当たり前の栄養素。

 

愛する者と触れ合う。

最高のエネルギー循環方法!

 

スキンシップとは書いたけど、触れ合わなくても良い。

目と目で通じ合う〜(靜香)だけでも

意図するだけでも、充分循環出来る。

 

人でなくても良い。

犬でも猫でも鳥でもねずみでも。

前述した樹々や草花でも。

もっと言うと生命を持たない(が振動している)無機物でも。

 

ま、もちろん

「好きじゃー!!」つって

「わしも好きじゃーー!!」って還って来る方が、実感としてあるし満足度も高いので

今回はそこを書いて行きたいと思う。

 

 

 

yukikoashiato.hatenablog.com

この記事でも書いたけれど、わたしは他人に触れられるのが苦手だ。

それこそ「何でもいいから食べることはしない」食事と一緒で、「誰にでも触らせることはしない」。

例えば人ごみや満員電車などはガードすることは出来るけど

ガード無し&リラックスして受けるマッサージなどは見ず知らずの人には受けられない。

 下手したら要らんモンもらっちゃったりするからね。

 

そういう意味で逆に「欲しいモン」をもらえるのが

心を開いて触れ合うスキンシップ。

わたしは大好きな人、憧れの人には必ず握手か出来ればハグをしてもらう。

その人の持つバイブレーションを受け取る、それだけで「心の栄養」。

 

 

 

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愛犬、梅吉。

 

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んもーーーーーーーーーーーー

とにかく可愛い。

 

わたしは子供の時からあらゆるペットを飼って来て、犬も5匹目である。

でもこの子は本当に『特別』。

夫と結婚してすぐに来たからか、マジで我が子同然。

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 我が家に来たばかりの梅吉。わたしも若いw

 

 

こうやって、写真を眺めるだけでわたしの顔はほころび、胸がほんわかする。

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ま、そこに本物が寝てるんですけどねwww

 

この子と触れ合う。ナデナデする。喜んでるのがわかる。

わたしも嬉しくて嬉しくて

『愛の循環』が手に取るようにわかる。

 

 

わたしが台所に立っていると

梅吉が横になってリラックスした表情でじーっとわたしを見つめるときがある。

わたしは嬉しくなって自作の「梅吉の歌」を歌う。

「うめきち だいすきー♪」「うめきち かわいいー♪」

梅吉は嬉しそうに目を細めて聴いている。

その梅吉の姿を見てぞくぞくするほどの幸福を感じる。

触れ合わなくても、それだけでぐるぐる愛が循環している。

心が満たされる。

 

魂の栄養。

 

 

 

そして

これは自分でも「それはどうだろう…」と思うことなんだけれど

わたしが不食生活を始めたあたりから、梅吉の食欲がものすごいことになった。

単に怪我が完治して元気いっぱいになっただけなのかもしれないけれど

 

『もしかして、わたしが食べない分梅吉が食べて、LOVEパワー(魂の栄養)としてわたしに与えてくれているのではないだろうか…?』

 

と思わなくも、ない。

 

これに関しては「ま、どっちにしろLOVEパワーもらってるし!」ということで、どっちでもいいや。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 

 

愛犬だけでこんなに栄養もらっちゃってて。

 

当然ながら、愛する夫とは循環していないときが無い、といっても過言では無いでしょう。

 

我々は周りも認める仲良し夫婦。

お出かけのときはいつも手を繋いでいるし

寝るときはお互い全裸で抱き合って眠る。

 

「愛しい!!!!」という想い、愛というエネルギーが自分から溢れ出て相手に届いてまた帰って来る。

触れ合えば触れ合うほど、循環すればするほど、そのエネルギーは増大する。

幸福感で満たされる。

 

『魂の栄養』としてはなによりもわかりやすい(実感しやすい)のではないだろうか。

 

 

 

 

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なんか、この魂の栄養シリーズを書いてて思ったけれど

 

結局は「自分を愛で満たすこと」が「魂の栄養素」だという結論な気がする。

魂の栄養をしっかり摂れていたら身体は維持出来るから、食べ物で摂る栄養は要らないということ。

それが『不食』なのではないか。

 

 

食べ過ぎてしまうひとはお腹が空いてるのではなく魂が満たされていないだけなのではないか。

 

魂の飢餓感が、「愛の代わりになるもの」(そんなものありゃしないのだが)を求めて、さまよい歩く。

 

それがある人には「食べること」なのかもしれない。

 

「人に認められること」かもしれない

「富やお金」かもしれない

「(単なる肉欲による)セックス」かも…

 

決して埋められない飢餓感を「ナニカ」で埋めようとしている。

 

 

 

 

 

わたしは不食をひとにすすめるつもりは無いし、幸せならば何を食べても良いと思う。

けど、これだけは言いたい。

 

 

 魂の栄養を摂ろう。

 

本当の愛で自分を満たそう。

 

それには、自分が本当は何を求めているのか知ること。

自分の中の神様としっかりと繋がること。

 

「ほんとうは寂しい」という本心から目を背けず

どんどん愛を与えて受け取って行こう。

 

 

 

 

 

わたし自身も『不食』『食べない生活』を目指す、というより

この自分を満たし魂の栄養をしっかり摂って生きて行く、ということのほうが重要な気がする。

 

うん。

大切なのは「食べない」ことじゃない。

愛で満たされれば「食べなくても良くなる」っていう、結果なんだ。

 

 

 

 

 

食じゃなくていい!魂の栄養を摂る。【その三 祈り/感謝】

祈り、といっても

「食べなくてもお腹が空きませんよーに!!」とか祈るわけじゃないですよ。

言っとくけど!

 

 

 

人は

祈るとき

どこに意識をむけているのだろう?

 

特定の信仰があるわけでは無い場合

漠然と「かみさまーーーーー!」なのではないだろうか。

しかも、その場合の神様は「どこか遠い外に居る神様」だろう。

 

何度も言ってるとおり神様は外には居ない。

 

 

 

 

とはいえ、わたし自身も神社で、神棚の前で、神様と対峙する。

それはわたしの美しい神様と元は同じなのだけれど

 

名前とエネルギーを持った「存在」に対して、祈る。感謝する。伝える。

 

 

 

神の前ではどんなに繕って美しいことを祈ったり伝えたりしても無駄。

本心は隠したってわかってしまう。

 

だからわたしは神様の前に立つ時

 

「わたしを見て下さい。

ありのままのわたしは、神様の仕事をするにふさわしいでしょうか?

あなたが、わたしの身体を使ってこの世のために働くに値するでしょうか?

どうか、わたしがあなたの仕事をできますよう。

できる人間であれますよう。成長できますよう。」

そして、いつも見守っていただいている感謝を伝える。

 

(このとおり文章を頭で読み上げているわけではなく、このような旨を一瞬の想念で送るだけです。それだけで伝わります)

 

毎朝の神棚へのご挨拶でも同じで

神棚の神様はいつも「よしよし」的な、胸があたたかくなる波動を送って下さるのだけど

不食を始めてから、別のものも送って下さるようになった。

なんというか…元氣玉、というかエネルギー弾というか…

胃〜肚に「パワーの源」みたいな塊を入れて下さる。

ドスンと来るそれに、わたしはいつも衝撃を受け、深呼吸しながらの最後の一礼、「ありがとうございました!」になる。

 

これをいただけりゃー、ごはん要らないよねぇ(笑

 

 

そして感謝、それは循環。

ありがとうはありがとうを呼ぶ。

 

 

不食生活をしてから、性格というか普段の精神状態が非常に穏やかになった気がする。

 

いや、元々がかなり激しい気性なので普通になった、程度だろうか…(ドキドキ)

 

なので、イライラしたり怒ることがあまり無くなった。

 

元々他人に興味が無いわたしは、人がナニしようとどーでも良いのだが

やはり一番身近な夫にはそうも言っていられない。

 

不食によりチビ雪との繋がりも強化されているので、チビ雪が怒ったときはそのまま出る。

夫に対して怒る時、「え、今そこで怒るの」みたいな時もあって

「あぁ、これはチビ雪が怒ってるんだな」と思う。

(責任逃れじゃないぞw)

わたし雪子が怒るのは例えば「ちゃんと片付けない」とか「約束事を忘れてた」とか

「表面上のちゃんとしてないこと」だったりするが

チビ雪が出て来て怒るときは「本質を間違っている」とき。

そもそもの捉え方を間違って行動しているとき、チビ雪大激怒。

それは、わたしも怒られるからわかるんだけど…(こわいんだよ!( ;´Д`))

 

話がそれました。

 

気分が穏やかだと、周りの景色もとても穏やかに美しく見える。

なにもかもが愛おしい。

全てにほおずりしたい。

目の前の愛犬やお花たちはもちろん、

テーブルの上のポットや乾かしてある手袋や外で待機している愛車など

「もーーーーーーーー、あんたたちが居てくれて本当に嬉しい!ありがとう!!!!」

と、これは思わず声に出してしまうこともある。

 

そのとき、必ず返って来る。

 

「ありがとーぼくらも雪子が好きだよー」と。

 

 

ありがとう、好きだよ。

これの循環。

 

それがわたしの栄養になる。

 

 

愛犬も、わたしも、ポットも手袋も

みんなひとつの「愛」で出来ている。

その愛で出来ているみんなでちゃんと循環出来てたら、もう、それでいいじゃないか!

 

 ま、それもいつも出来てるわけじゃないんだけど…(´Д` )

無意識に過ごしているほうがまだ圧倒的に多い。

出来るようになったら、ほんとうに食べなくても良いだろうね。

 

 

 

 

 

 

 

あ、、、、ちなみに。

 

この【その三】に、『瞑想』も入れようか迷ったのだけど

入れませんでした。

 

 

最近、瞑想しないというか出来なくなりました。

 

多分、しなくても良いんじゃないかなーと。

普段から繋がっていれば、あえて「繋がる時間」を作らなくても大丈夫なのじゃないかしら。

わたしが「いつも繋がっているひと」なわけでは無いけれど

不食前の、瞑想して意識的に繋がっていたときよりは

繋がりやすくなっている気はする。

 

でも、瞑想もとても有意義かつ効果的なのでオススメはします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食じゃなくていい!魂の栄養を摂る。【その二 自然】

 

「自然」から栄養を摂る、というのは大概の人が想像しやすいのではないだろうか。

 

イキイキとした『氣』というものは大都会より山の中にあり

その『氣』は人間に良く作用する、というのも

実際感じるかどうかは別として「そういうもんだ」と思えるのではないか。

 

 

わたしも不食のひとたちを知った時のイメージは

『仙人が山奥で霞を食って生きてる』だったし、

霞が所謂プラーナってやつで、自然界のエネルギーのことかなと漠然と思ってた。

 

なので、自分が不食を始めてから

今までは「なんとなく交流する、お話相手」だった自然の子たち

ー目に見える樹々草花から目に見えないちっさい存在までー

エネルギー交換する相手という意識になった。

 

そして、エネルギー交換出来るのは、そういう子たちだけじゃないというのもわかっていった。

 

山の中にいなくても

自然に囲まれていなくても

大都会に暮らしていても

 

太陽はそこにあり

月はそこにある。

 

火、風、土、水…

見渡せばそこに居る。

 

天気の良い日に太陽をじっと見つめる。手を合わせる。

※個人的には太陽凝視は万人にはオススメしません

 

月が綺麗な夜、眺めながら想いを馳せる。

 

流れる川に手をつけてみる。

そよぐ風が頬に触れる感触を味わう。

微生物モリモリの土に足をつっこむ。

燃え盛る炎が全てを浄化することを想像する。

。。。。。

今の札幌なら雪からすらパワーをもらえる。

 

雪は水の結晶。水はすべての情報を持っている。情報の塊である雪に身体を委ねてみる。

 

 

 

 

 

もっと言ってしまうと「ありとあらゆるものから栄養は摂れる」ということになってしまうのだけど、その結論で言ってしまうと今後続かないので(笑

 

今回は自然、ということで。

 

 

具体的に出来ることで言えば

 

 

やっぱり山の中に入る、樹々に囲まれるなんてのは最高。

例え雪の中でも。

青々とした夏の樹々は元気そうで

雪に埋もれた樹々は眠っていそう

一見、そう見えるけれども!!

まさに、今!

2月の樹々達は来るべく春に向かって、まさに今、大地から水分と栄養を根から吸い取り、自分の葉に蕾に蓄えている、パワーに満ち満ちているところ。

これから咲くぞー!ヤル気満々状態。

そのパワーをいただく。

 

桜の木はそのへんの公園にもあると思うので、

想いっきり幹を抱きしめ、そっと蕾に触れてみると良いと思う。

「頑張ってね!」「綺麗に咲くの楽しみにしてるね!」と声をかけるのを忘れずに。

あなたのその声が想いが、また彼らの栄養となり届き元気に生きて行ける。

そう、これが循環。

 

 

 

お花屋さんからお花を買って来る。

自然の中の子たちよりもずっと繊細だけれども、その癒しパワーはデカい!!!!

循環というよりも、「見返りを求めない献身的な愛」。

どんなにマメに手入れをしても、この子たちはいずれ枯れてゆく命。

だからこそのこの愛を生活に取り入れる。

不食生活をしてから、我が家では常にお花を飾るようにしている。

おはよう、おやすみ、今日も可愛いね、いつもありがとう…

声をかけてそっと触れる。

彼らも我々人間の役に立っていることが喜びなのだ。

無償の愛、お花にはそれを感じる。

 

※もちろん観葉植物等でも対応は同じ

 

 

 

そして

最近「これだ!!」と発見したのが「温泉」。

温泉は最高の魂の御馳走!!

単純に、肉体の癒しとしても効果があるし

入ってて「ああぁぁぁ〜〜〜〜気持ええ〜〜〜」と声が出てしまう精神的癒し

なんといっても、水、火、土のパワーがいっぺんにいただけるんですな。

そういう意味でも源泉掛け流しの温泉が一番だけれども

薪で湯沸かししている銭湯なんかも素晴らしいね。

塩素たっぷりのスパ系は、「Joy」の意味では良いかもしれないけど

パワーはいただけませんな。

 

 

 

 

 

余談。

不食を始めてすぐのころ、「食べないでお風呂なんて…危なくね!?」と不安だった。

それでなくても貧血気味なわたくし

ぶっ倒れたらどーするよ、と、お腹も空いてないのに「不安だから」食べてから、自宅のお風呂に入った。(何を食べたかは忘れた)

 

案の定ふらっとするわたし。

「当たり前だ、自分でそうなるかも、って思ったんだから、なるに決まってる」とビシッと突っ込むチビ雪。

不安が現実を作った良い(悪い?)例。

 

その後、お風呂でふらつくことは一度も無し。

24時間食べないでサウナも水風呂入もバッシャバシャである。

 

 

 

 

 

閑話休題

 

 

不食生活は感覚が繊細になるので、この、栄養の源を「感じやすくなる」。

「あ、この山が元気が良いな」とか

「この樹のパワーは凄いな」とか

「今日のお花は機嫌が良いな」とか

 

感じるとお返しもしやすいので循環もまわりやすい。

 

わたしにとっての不食生活の最大のメリットはこの「循環がスムーズ」、

だろうな。

 

 

 

 

 

必要なのは『愛』!!

「この今の想い、残しておかねば!!!!」と思ったので

食後にお口をもぐもぐさせながら書いています。

(お行儀悪いですね。良いこのみんなはちゃんとお口を空っぽにして「ごちそうさま」しましょうね。)

 

珍しく、夜まで待てず「おなかすいたーごはんー」になったので

これまた珍しくしっかり一食作った。

ま、ほぼ残り物だけど。

 

発芽玄米のお粥

お麩と春菊の粕汁(粕漬けまわりの粕を使用)

鱈の粕漬け

ゴーヤともやしとほうれん草のナムル

蒟蒻と仙台麩の煮物

 

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こんなに食べれるかなーと思いつつ

まだこんな時間(15時)だから今しっかり食べておけば夜もいらないだろうともぐもぐ開始。

 

この鱈の粕漬け

先日、母を連れて温泉に行って来たのだが(温泉は最高の魂のごちそう!それはまた別記事で。)その帰りに「持って行きなさい」と持たされたもの。

 

母親というのは何故にあんなに『食べさせたがる生きもの』なのだろうか。

母親の役目とはそれに尽きる、からか。

 

蚕を飼っていたときに感じた、

あの与えた餌をスゴイ勢いで喜んで食べる姿、そしてどんどん大きくなるあの達成感…

あのときわたしは蚕に「もっと食べなさい!!」状態だった。

あれが母親の『食べさせたい』に繋がるのか…

 

まぁ、とにかく。

当然、母に不食のことなど伝えるつもりも無いので

相変わらず「ちゃんと食べてるのか」「これ食べなさい」「(断ると)じゃあ持って行って食べなさい」…食え食えの連続である。

 

持って帰る分には、よっぽど「そんなもん食わんわ…」というもの以外は夫に食べさせればいいだけなので、遠慮無くいただく。

 

粕漬けはしっかり二尾入っていたが、まぁ弁当に詰めても良いし…

 

と思っていたのだけど

夫に朝焼いたときにチビ雪が「わたしも食べたい!」と言ったので

ひさびさの動物性、いきました。

 

 

 

そして

 

感じた

 

ひさびさの「魂の満足」。

 

 

 

 

 

「あぁぁぁぁぁ 美味しいぃぃぃぃぃぃぃぃ(涙)」

 

 

もう、眼を閉じてうっとりしちゃったよね。

 

ずどーーーーーーーんと魂に響く感じ。

 

なんだろう、これ。

 

チビ雪が泣いてる。

わたしはわけわからず涙がぽろり。

 

 

「うん、もう満足したね」

ふたりとも納得で、こんな状態で箸を置いた。

 

 

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 注:残りはスタッフ(夫)が美味しくいただきます。

 

 

わたしたち夫婦は味の好みが全く一緒なので、美味しいも不味いも同じく感じる。

 

夫が今朝この粕漬けを食べたとき、一言の感想も無かった。

割と食事について感想を言うひとなので

「何も言わないなんて珍しいな。母が少ししょっぱいかも、と言っていたから…しょっぱかったのかな」と思っていた。

 

長い出張から帰って来た後だったせいか、ひととおり食べ

「やっぱり雪ちゃんの作るごはんが一番美味しいーーー!!」とたいそう喜んでいた。

 

 

 

 

夫は、母の粕漬けより、わたしの作ったもののほうが美味しいと言った。

わたしは、他のなにより、母の粕漬けが美味しかった。

 

同じ味覚を持つ二人の違う感想。

 

何が違うか。

 

 

母は子供達のために粕漬けを漬けた。

わたしは「お母さんの作ったごはん」が食べたかった。

 

わたしは夫のために料理を作る。

夫はどんなものより、わたしの料理が一番だと言う。

 

 

そこにあるのは、やっぱり「愛」でしかない。

 

作るひとと食べるひとの間で料理を通して愛が循環しているのだ。

 

 

 

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札幌に初めて某ファミレスがオープンしたとき、友人たちと食べに行った。

スピリチュアルな仕事はしてたけど、食に対してはそれほど興味無かった頃。

興味が無いとはいえファミレスが美味しいとも思っていないので、単なる興味、どんなもんか食べに行ってみた。

 

そのときの衝撃は忘れない。

 

「…これ、食べ物ですか????」

 

豊富なメニュー、お手頃な価格、若者には受けそうな食べ物。

でも、あまりにも『スッカラカン』なそのモノは、わたしの身体は全く受け付けなかった。

 

この空っぽ加減、食材の善し悪し云々だけじゃない。

ファミレスの食材なんてどこもだいたい一緒だ。

食材の空っぽに加えて…これは…作り手の愛情の無さだ。

 

オープン時にちょっと習っただけで厨房に立っているバイトが「めんどくせぇなぁ」と言いながら料理を作っている光景が眼に浮かんだ。

 

 

 

こんな料理を、周りの若者は「美味しい」と言って食べてるのか?

見た目が満足ならそれで良いのか…?

 

 

 

愕然とした。

 

 

 

 

 

 

 

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Facebookにこう投稿したのは、不食を始めて10日後のこと。

不食を始めたことは公言してません)

 

 

 

「食べること」が、わたしの中で気持ち的にも行為的にも少なくなっています。

それでも、いや、だからこそ
身体に入ってくるその少しのものが何なのか、凄く重要に感じます。 
味覚がかなり敏感になって来ていて、さきほどのビアホールの料理はほぼ受け付けられませんでした。
最近とくに感じるのは肉がどーのとか、化学調味料がどーのとか、ジャンクがどーのとか、いうより「誰がどういう気持ちで作っているか」、それは素材であれ料理であれ、そこが一番わたしのなかでひっかかるみたいです。

高慢な特別意識で作られた無農薬野菜やオーガニック料理より、慣行野菜で化学調味料が使われていようがスッキリと生きている人が作ったもののほうが、わたしには合う、みたいな。

 

 

『高慢な特別意識で作られた無農薬野菜やオーガニック料理…』

 

無農薬農家としてとても人気がある某氏

わたしはそこの野菜を美味しいと思ったことが無いし、だいたい顔が嫌いだった。

共通の友人も多いのに何故か縁が無かった彼は

実は人間としてはめちゃくちゃだった、という話を最近聞いた。

 

「あんな人が作ってる野菜を崇めて食べてる人の氣が知れないよ!!売れてる理由はブランド力だけだよ!!」と教えてくれた友人が怒っていた。

 

人の生き方を批判をするつもりは無いけれど

やっぱり作り手の想いって、必ず作ったものに出る。

それが野菜でも、料理でも。

 

彼が育てた野菜に「愛」は入っているのだろうか?

 

他のひとには「安心安全で美味しい野菜♡」なのかもしれないけれど

 

愛が入っていないものは魂には響かない、から

不食のわたしには必要無いもの」。

 

 

 

 

わたしが作る糸や布にだって

わたしの想いが乗る。

 

 

作り手の乗せた想いが、受けたひとの何かの糧(栄養や感動、見えない効果でも)となりその喜びがまた作り手に、

そしてその材料を提供してくれている「地球」に還って行く

 

そんな「愛の循環」が出来たら最高ではないか。

 

 

 

だから、お願い。

 

作るひとはどうか受け取るひとに与える「愛」を乗せて欲しい。

 

受け取るひとは作り手が乗せた「愛」をしっかり感じて欲しい。

 

ただ空腹を満たすだけに適当に食べる、なんて

(自分の)かみさまに失礼なことは

出来るだけ避けて欲しい。

 

 

愛が循環する食べ物を選んで欲しい。

 

 

 

食じゃなくていい!魂の栄養を摂る。その一【運動】

食べる以外でからだといのちをつくる。

魂の栄養を摂る方法、その一は「運動」。

 

前にも書いたけれど、わたしは生まれた時から身体が弱く、医者に長生きしないと言われていた。

白血病に近い状態だったらしく、とにかく出血は御法度。

なので興奮する、怪我をする、=出血する、鼻血が出るなどの可能性がある運動は禁じられていた。

(興奮するという理由でオロナミンC的なものやガラナさえ飲ませてもらえなかった…)

 

ある程度成長して体力もついて人並みの生活は出来るようになったけれど

今度は喘息との闘いで、これまた激しい運動は無理。

わたくし、学校の体育祭などの運動行事まともに出たことありません。。。

 

克服したくて水泳を習ったりしたけど、喘息だけは良くならなかった。

 

そもそもこの病弱な身体。

んもーーーーーーーとにかくコンプレックス。

病弱コンプレックス。

他人が簡単に出来ることがわたしには出来ない。

運動はもちろんだけれど、普段の生活でも、少しでも無理すると必ず寝込む。

白血病に近い、という状態だからなのかとにかく疲れやすい。体力が無い。

1日無理すると3日寝込む。

街中に出かけると疲れで寝込む。

旅行なんかで浮かれたあとは、酷いめに合う。

 

甥っ子が小学生だった頃(わたしが高校生くらいだったかな)、

「どうして雪ちゃんはいつも出かけて帰って来ると寝ちゃって出て来ないの?」

と言われて凄くショックだった。というかこの言葉はトラウマとなった。

 

好きで寝てるわけじゃねーーーーーーーーーーーーわ!!!!!!(号泣)

 

虚弱体質なんとかしてくれーーーーーーーーーーー

 

とにかく、この身体の弱さは最近まで最大のコンプレックスだった。

 

 

 

それがですよ

 

不食を始める直前くらいに何故か急に「走りたい!!!!!」欲が出て来たのです。

 

喘息も良くなってないのに。

そもそも小走り以上に走ったことなんか、ほとんど無いくせに。

 

でも走れる気がしたのよね。なんとなく。

 

で、マラソン好きの夫にすぐ相談。

わたしが「走りたい!」だなんて…今まで「運動する意味わかんないw」とか言ってたくせに…

当然驚いてたけど嬉しそう。

一緒に走ってくれた。

(そういや発熱状態での大神神社登山で最初から最後まで肩を貸してくれたっけなぁ。しみじみ良い夫だ)

 

「ゆっくりゆっくり、とにかくゆっくりね」

 

 生まれて初めての「走りたい欲」が爆発して、今すぐにでもダッシュしたいんだけど(笑

 

様子を見ながら、走る。

大好きな川縁を走る。

 

 キモチイイー!

流れて行く景色を見ながら、世界の音を聴きながら、風を感じながら、身体を動かす。

なんて気持が良いのだろう。

 

 そうして新しい世界が、わたしの中に出来たのです。

 

しかしここは北海道。

気がついたら雪景色。

せっかく走るのが楽しくなったのになぁ。

 

そうこうしているうちに始まった「不食生活」。

 

どうなるかもわからず「やる」って決めた不食生活。

わたしが食べなくなったら…からだはどうなるんだろう。

母に刷り込まれた「食べないと身体が保たない」呪縛はちゃんととけてるのか。

不安は全く無かったけど、どうなるかも全く想像つかなかった。

 

本等には「不食はパワーがみなぎる」的なことが書いてあるけど

このキョジャッキーな自分がそうなる姿が、全く想像つかない。

 

が、意外にも

不食を始めたら、余計に走りたくなった。

 

 不食ハイ

でも書いたけど、ほんとに肚からパワーがあふれて来るので

もう、それこそダッシュしてどっかに登って

「エイドリア〜〜〜〜〜〜〜ン!!!!!」とか叫びたいくらいのカンジ。

 

なので、近所の市営の体育館に通うことにした。

ランニングデッキもあるし、トレーニング室もあるので筋トレも出来る。

 なんせ、気力は溢れているものの、肝心の肉体のほうは45年間走る為の筋肉を着けて来ていないので足がついてこなくてコケるのだ…(´Д` )

 

体育館は徒歩20分ほど。

車で行けば5分だけど、運動目的のところに車で行くって…「はぁ!?(´Д` )」

なので往復40分歩く。

20〜30分走って、1時間程マシンで筋トレ。

そしてこの季節、行く前、あるいは帰って来てから雪かき。

 

 かなりの運動量である。(※当社比)

 

そして全然苦痛じゃない。

むしろ「まだまだー!!!!」なくらい。

 

雪かきなんて去年まで「当然夫がやること」と思ってて

どうしてもの時以外は夫が居ないときはしない。

「冬に長期出張入れるんじゃねーよ!!!!」くらい思ってた。

 

それが今では夫の手を借りずとも綺麗に出来る。

「雪かきは丹田を鍛えるのに良いぞ!!」などと言い出す始末。

 

これだけでも不食万歳である。

 

 

ーーーーーーーーーー

 

さて、不食をすると運動出来る、したくなる、のはわかっていただけたと思うが

 

「運動をすると食べなくて良いとは、これ如何に」。

 

えっと、一番端的に一言で言うと

不食における運動って

禊における振魂と同じじゃないかなって思ったのです。

 

って、禊をしないひとにはまったくわからない説明ですが(笑

 

禊をする前は、いくつか作法というか所作がありまして

振り魂はそのひとつ。

 

振魂(ふりたま)
振魂は両手を臍下前方に右手を上にして掌を軽く組合はせ、連続して上下に振り動かす。組み合わせる掌中には空間を開けて、掌中にある自分の魂(ミタマ)を振り動かす要領で行う)を行ふ。
振魂の間は「祓戸大神」を連唱す。

 

振魂での、丹田に『氣』『魂そのもの』を集めて揺さぶり増大させていく感じが、

不食で走ったときにパワーがみなぎる感じに似ている気がする。

 

身体を動かすことによって魂を震わせて、自身の神であるパワー、

限度のないエネルギーがどんどん出て来る。

じっとしているより、肉体を動かしたほうがよりそのエネルギーは「内側から」溢れ出て来る。

どんどん、どんどん、限りなく、溢れでてくる。

 

このエネルギーの質といったら食べ物から得る「栄養」的なものとは比べ物にならないくらい純粋で美しく、幸福感をもたらすと同時に、即肉体に作用する。

肉体そのものに、この純粋で美しいエネルギーが満ち満ちていくのだから、他の栄養素など何も要らないのだ。

 

これは…このエネルギーは…

なんなんだろうな。

やっぱ「」なんだろうな。

 

 

少々話はそれるけれど

わたしが体験した神秘体験のひとつにこの「愛」そのものになった、というのがあって。

普通に地下歩道を歩いているときそれは急に来た。

大好きなひとに贈るプレゼントを考えながら歩いていてウキウキしていたのは覚えている。

急に

自分の肉体が無くなって、目の前の全ても無くなって

わたしはわたしじゃなくなってひとつのエネルギー体、といってもカタチもなく永遠に広がるもの凄い圧倒的パワーの「存在」だけになった。

ほんとうに一瞬の出来事だったけれど。

あの圧倒的パワーとエネルギーは「愛」そのものだった。

「神様」でも良いし「宇宙」でも良いけどそのときは「愛」が一番しっくり来た。

「あぁ、わたしは愛そのものなんだ」、ってそのとき初めて体感した。

 

この「愛」に繋がれるかどうか、

この「愛」を魂の栄養と出来るかどうか、

それもまた不食への大切なポイントな気がする。

 

運動をすること=魂を揺さぶること=自身の愛を溢れ出すこと=食べなくて良い

 

↑そんな簡単なことじゃ無いかもしれないけど、簡潔に書くとこんな感じ?

 

もちろん、自分自身が運動することを楽しいと思わなければ絶対無理というか無駄だけれど…

 

不食をするために何かを嫌々するとか、我慢するというのは本末転倒である)

 

 

 

 

自身のことも書いたので長くなりました。

伝わるのか、これ。

 

自身の記録のためであって

べつに伝えるために書いてるわけじゃないから、いいかw

 

食じゃなくていい!魂の栄養を摂る。

食べない方が、調子いいー!

食べない方が、全然元気ー!

 

何故、そんなことが有り得るのか?

 

食べない方が調子良い、ってのは今までの投稿でも少し触れてきたけれども

 

食べない=元気いっぱい!ってのが、不食を信じられないひとにとって、多分一番不思議なんじゃないかなと。

 

わたしがそう思ってたから。

 

食べなくても生命を維持出来るのは、なんとなーく理解出来る。

仙人みたいな、超越した人なら食べなくても死なないんじゃないか。

 

ただそれはあくまでも「死なない」であって、

 

元気はつらつーーーーーー!!

 

というイメージでは、無い。

 

不食の本にも、食べない人が、食べる人よりいかに健康的で溌剌でパワーがみなぎっているか、書いてある。

 

何故なのだ…

 

 

 

 

その疑問も、

身を以て知ることになるわけです。

 

 

 

まずは、もちろん「食べない」=「溌剌」ではない、イコールではないということ。

 

そこがイコールであれば、絶食でも断食でもダイエットでも、元気ハツラツになるはず。

 

でも、そういうのは普通続ければやつれていくよね。

過激なダイエットなんて(わたしも経験あるが)心身共にヨレヨレになって、ちょっと動くのもしんどくなる。

 

そういうものと不食の何が違うかというと

 

「食べなくても大丈夫」という確固たる『意識』はもちろん

 

「食べるもの以外で、身体を命をつくっていく」ということ。

 

それは、実際自分が不食(へ進むこと)を始めてから、どんどんわかっていった。

今まで特に意識せず、素通りしてきてしまったことが

いかに栄養素として大切か、日々の暮らしの中で気付いていった。

 

それは驚きの連続で

 

わたしたちはこんなに完璧なもの(栄養)を与えられているのに

それに全く気付かず

身体を汚し思考を汚し地球を汚し

とんでもなく無駄で愚かなことをしているのだ、と

 

気付く旅でもあった。

 

これから、そのあたりを続けて投稿します。

 

(結局、当面は不食ブログになりそうだwwwwww)