食べてもいいし、食べなくてもいい。
不食、といっても「食べなくなること」が目標じゃない。
食べなくても良い、意識と身体をつくること。
食べたっていい、食べたいのなら。
でも、食べないほうが調子がいいから、食べない。
そんな感じ。
この自由さがなんといってもわたしにぴったりなのだ。
食べてもいい
食べなくてもいい
どっちでもいい
どーでもいい
なにしてもいい…
いや、そんななげやりではないが(笑
今(不食を始めて一ヶ月)はまだ「食べないことに身体を慣らす」段階なので、意識的に「食べないように」はしているけれど、我慢して辛いー!ってことは全く無い。
食べたいなーと思ったら、肉だろうがジャンクだろうが何でも食べるし。
今振り返ると、不食を始める前は無理して食べてたし、アタマで(思考、嗜好、記憶)で食べてた。
本当に身体が求めて食べていることなんて、殆ど無かったのではないかしら。
今は身体の声をずいぶん聞けるようになった。
不食は意識を繊細にさせる。
不食で餓死なんて人が(外国で)いたみたいだけど、
きっと恐れを持ったまま「食べない」を選択したから。
「食べちゃいけないのよっ!」ってアタマガチガチで、身体は納得していなかったんだろう。
「食べ物を身体にとりいれなくても、生きて行ける」
それを心底、腑に落としてないと身体はどんどん衰弱する。
もちろん、食べ物以外をとりいれる方法も身につけなければならないし。
飢餓で苦しんでいる子供達だって、そこに気がついて実践できたら、餓死はしないはず。
不食を実践出来るのは「意識」「決意」それだけだと思う。
わたしにとって、不食のメリットは書ききれないほどある(のでまた別の記事で)
が、デメリットはほぼ無い。
(あるとしたら痩せすぎると着物が似合わないから、ほどほどにして欲しい)
だからといって、他の人にも「食べるのやめなよ〜」などと言う気もさらさらない。
何度も言うけど本人が心底腑に落とさないと出来ないから。
不食は、
ダイエットとも断食とも絶食とも違う。
期間も、目標も無い。
我慢も、終了も無い。
「永遠に食べなくてもいい」と自分で決める
常識の呪縛から解放された、自由な『生き方』なのだ。