あ し あ と 。

生きてます。自由に。

ちっちゃい雪ちゃん

「ちっちゃい雪ちゃん」

 

これはわたしのブログの中で今後もちょくちょく出て来るとても大切なワードなので、

一度説明しておこうかな。

 

※スピリチュアルなお話が苦手なかたには理解不能かもしれないので

その場合はスルーしてください

 

 

ちっちゃい雪ちゃん(以下「チビ雪」に略)とは

わたしの

 

(ホ・オポノポノでいう)ウニヒピリ

 

内在神

潜在意識

宇宙

真我

本質

 

呼び方はなんでも良いのだけど

 

一番しっくりくるのは…

 

「ほんとうの自分」、かな。

 

全てを知っている、わたしの中の神様

ほんとうのわたし。

 

神様は、外には居ない。

いつも、いつでもわたしの中にいる。

 

 

 

 

 わたしのおしごとはこの神様であるチビ雪を満足させること。

 

チビ雪がしあわせなら、わたしもしあわせ。

チビ雪が満足なら、わたしも満足。

だって、わたしとチビ雪はおなじものだから。

 

お遍路の空海さんと同じ

同じ人生を、一緒に歩んでいる同行者だから。

 

 

チビ雪はわたしにいろんなことを教えてくれる。

指示もするし、

ダメ出しもする。

 

からといって、言うなりになっているわけではなく

四六時中、全てにチビ雪が口出しするわけではなく。

 

 

 

しっかりと一緒に人生を歩んでいるとき

主導権はわたし。

 

何かあったとき、迷ったとき

当然、同行者として「どーする?」「どうしよう?」と聞く事はするし

(誰かと一緒に旅をしている、と想像してみて)

わたしが聞かないで違うほうに行けば「やだ!」と言ってくれる。

 

チビ雪のほうから「あれしよう」「こっち行こう」と誘ってくれることもある。

 

聞いても何も答えてくれないときもあるし

間違ってても教えてくれないときもある。

それは『結局何を選んでも間違いなど無い』ということを教えてくれるとき。

 

なんだか禅問答みたいになってきたけれども…

 

チビ雪の「ちがう!」は漫才におけるツッコミみたいなもんで

わたしの意見や行動(ボケ)に「そこか〜い!」「そっちか〜い!」な感じ。

AじゃなくてBだ、という選択の間違い、じゃない。

 

だから、基本自由。

 

アタマ(思考)で自分でどうにかしようとして

チビ雪の声に聞く耳持たず、無視して痛い目にあっても「ほら〜だからwwww」。

 

同じ人生の同行者として

楽しく仲良く

ボケたりツッコんだり

 暮らしてる。

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 

 

 

チビ雪は雪子の雪ちゃんだからといって、わたしにしかいないわけじゃない。

 

すべての人の中に「ほんとうの自分」「自分の中の神様」はいて

 

ほとんどの人は「気がついてない」

あるいは気がついているのに「完全に無視している」だけ。

 

アタマで生きているひとには、多分、声は届かない。

アタマの中はいつでも終わった過去や来ていない未来や

どうでもいいことを考えるのに精一杯で

かみさまの声が入り込む余地がない。

 

いつでもかみさまは叫んでいるのに

あなたは無視している。

あなたのかみさまは、魂は、いつ、どうしたらいいか全てわかっている。

なのに、それを信じず無視して

自分のアタマで考え行動して

うまくいっては喜び、失敗しては悲しんだり怒ったりしている。

 

たまに声が届いて思い通りになったら

「勘がひらめいた」とか「インスピレーションがおりてきた」とか言って

自分の考えたことが正解だったと思い込んでる。

 

かわいそうなかみさま。

 

みんな、気がついてあげて。

 

 

 

ーーーーーーーーーー

話がそれてしまった。

 

 

 

不食生活でもチビ雪は大活躍。

 

っていうか、

 

チビ雪がいなかったら、多分不可能だっただろうと思う。

 

チビ雪が応援してくれて、いろんな応用を教えてくれた。

 

本なんか必要無いくらい、あらゆる知識を送り込んでくれた。

だから、

何も知らなくても

チビ雪が「出来るよ」って言ったから、実践出来た。

 

不食に関してのチビ雪の活躍は、また次回に。