あ し あ と 。

生きてます。自由に。

食じゃなくていい!魂の栄養を摂る。その一【運動】

食べる以外でからだといのちをつくる。

魂の栄養を摂る方法、その一は「運動」。

 

前にも書いたけれど、わたしは生まれた時から身体が弱く、医者に長生きしないと言われていた。

白血病に近い状態だったらしく、とにかく出血は御法度。

なので興奮する、怪我をする、=出血する、鼻血が出るなどの可能性がある運動は禁じられていた。

(興奮するという理由でオロナミンC的なものやガラナさえ飲ませてもらえなかった…)

 

ある程度成長して体力もついて人並みの生活は出来るようになったけれど

今度は喘息との闘いで、これまた激しい運動は無理。

わたくし、学校の体育祭などの運動行事まともに出たことありません。。。

 

克服したくて水泳を習ったりしたけど、喘息だけは良くならなかった。

 

そもそもこの病弱な身体。

んもーーーーーーーとにかくコンプレックス。

病弱コンプレックス。

他人が簡単に出来ることがわたしには出来ない。

運動はもちろんだけれど、普段の生活でも、少しでも無理すると必ず寝込む。

白血病に近い、という状態だからなのかとにかく疲れやすい。体力が無い。

1日無理すると3日寝込む。

街中に出かけると疲れで寝込む。

旅行なんかで浮かれたあとは、酷いめに合う。

 

甥っ子が小学生だった頃(わたしが高校生くらいだったかな)、

「どうして雪ちゃんはいつも出かけて帰って来ると寝ちゃって出て来ないの?」

と言われて凄くショックだった。というかこの言葉はトラウマとなった。

 

好きで寝てるわけじゃねーーーーーーーーーーーーわ!!!!!!(号泣)

 

虚弱体質なんとかしてくれーーーーーーーーーーー

 

とにかく、この身体の弱さは最近まで最大のコンプレックスだった。

 

 

 

それがですよ

 

不食を始める直前くらいに何故か急に「走りたい!!!!!」欲が出て来たのです。

 

喘息も良くなってないのに。

そもそも小走り以上に走ったことなんか、ほとんど無いくせに。

 

でも走れる気がしたのよね。なんとなく。

 

で、マラソン好きの夫にすぐ相談。

わたしが「走りたい!」だなんて…今まで「運動する意味わかんないw」とか言ってたくせに…

当然驚いてたけど嬉しそう。

一緒に走ってくれた。

(そういや発熱状態での大神神社登山で最初から最後まで肩を貸してくれたっけなぁ。しみじみ良い夫だ)

 

「ゆっくりゆっくり、とにかくゆっくりね」

 

 生まれて初めての「走りたい欲」が爆発して、今すぐにでもダッシュしたいんだけど(笑

 

様子を見ながら、走る。

大好きな川縁を走る。

 

 キモチイイー!

流れて行く景色を見ながら、世界の音を聴きながら、風を感じながら、身体を動かす。

なんて気持が良いのだろう。

 

 そうして新しい世界が、わたしの中に出来たのです。

 

しかしここは北海道。

気がついたら雪景色。

せっかく走るのが楽しくなったのになぁ。

 

そうこうしているうちに始まった「不食生活」。

 

どうなるかもわからず「やる」って決めた不食生活。

わたしが食べなくなったら…からだはどうなるんだろう。

母に刷り込まれた「食べないと身体が保たない」呪縛はちゃんととけてるのか。

不安は全く無かったけど、どうなるかも全く想像つかなかった。

 

本等には「不食はパワーがみなぎる」的なことが書いてあるけど

このキョジャッキーな自分がそうなる姿が、全く想像つかない。

 

が、意外にも

不食を始めたら、余計に走りたくなった。

 

 不食ハイ

でも書いたけど、ほんとに肚からパワーがあふれて来るので

もう、それこそダッシュしてどっかに登って

「エイドリア〜〜〜〜〜〜〜ン!!!!!」とか叫びたいくらいのカンジ。

 

なので、近所の市営の体育館に通うことにした。

ランニングデッキもあるし、トレーニング室もあるので筋トレも出来る。

 なんせ、気力は溢れているものの、肝心の肉体のほうは45年間走る為の筋肉を着けて来ていないので足がついてこなくてコケるのだ…(´Д` )

 

体育館は徒歩20分ほど。

車で行けば5分だけど、運動目的のところに車で行くって…「はぁ!?(´Д` )」

なので往復40分歩く。

20〜30分走って、1時間程マシンで筋トレ。

そしてこの季節、行く前、あるいは帰って来てから雪かき。

 

 かなりの運動量である。(※当社比)

 

そして全然苦痛じゃない。

むしろ「まだまだー!!!!」なくらい。

 

雪かきなんて去年まで「当然夫がやること」と思ってて

どうしてもの時以外は夫が居ないときはしない。

「冬に長期出張入れるんじゃねーよ!!!!」くらい思ってた。

 

それが今では夫の手を借りずとも綺麗に出来る。

「雪かきは丹田を鍛えるのに良いぞ!!」などと言い出す始末。

 

これだけでも不食万歳である。

 

 

ーーーーーーーーーー

 

さて、不食をすると運動出来る、したくなる、のはわかっていただけたと思うが

 

「運動をすると食べなくて良いとは、これ如何に」。

 

えっと、一番端的に一言で言うと

不食における運動って

禊における振魂と同じじゃないかなって思ったのです。

 

って、禊をしないひとにはまったくわからない説明ですが(笑

 

禊をする前は、いくつか作法というか所作がありまして

振り魂はそのひとつ。

 

振魂(ふりたま)
振魂は両手を臍下前方に右手を上にして掌を軽く組合はせ、連続して上下に振り動かす。組み合わせる掌中には空間を開けて、掌中にある自分の魂(ミタマ)を振り動かす要領で行う)を行ふ。
振魂の間は「祓戸大神」を連唱す。

 

振魂での、丹田に『氣』『魂そのもの』を集めて揺さぶり増大させていく感じが、

不食で走ったときにパワーがみなぎる感じに似ている気がする。

 

身体を動かすことによって魂を震わせて、自身の神であるパワー、

限度のないエネルギーがどんどん出て来る。

じっとしているより、肉体を動かしたほうがよりそのエネルギーは「内側から」溢れ出て来る。

どんどん、どんどん、限りなく、溢れでてくる。

 

このエネルギーの質といったら食べ物から得る「栄養」的なものとは比べ物にならないくらい純粋で美しく、幸福感をもたらすと同時に、即肉体に作用する。

肉体そのものに、この純粋で美しいエネルギーが満ち満ちていくのだから、他の栄養素など何も要らないのだ。

 

これは…このエネルギーは…

なんなんだろうな。

やっぱ「」なんだろうな。

 

 

少々話はそれるけれど

わたしが体験した神秘体験のひとつにこの「愛」そのものになった、というのがあって。

普通に地下歩道を歩いているときそれは急に来た。

大好きなひとに贈るプレゼントを考えながら歩いていてウキウキしていたのは覚えている。

急に

自分の肉体が無くなって、目の前の全ても無くなって

わたしはわたしじゃなくなってひとつのエネルギー体、といってもカタチもなく永遠に広がるもの凄い圧倒的パワーの「存在」だけになった。

ほんとうに一瞬の出来事だったけれど。

あの圧倒的パワーとエネルギーは「愛」そのものだった。

「神様」でも良いし「宇宙」でも良いけどそのときは「愛」が一番しっくり来た。

「あぁ、わたしは愛そのものなんだ」、ってそのとき初めて体感した。

 

この「愛」に繋がれるかどうか、

この「愛」を魂の栄養と出来るかどうか、

それもまた不食への大切なポイントな気がする。

 

運動をすること=魂を揺さぶること=自身の愛を溢れ出すこと=食べなくて良い

 

↑そんな簡単なことじゃ無いかもしれないけど、簡潔に書くとこんな感じ?

 

もちろん、自分自身が運動することを楽しいと思わなければ絶対無理というか無駄だけれど…

 

不食をするために何かを嫌々するとか、我慢するというのは本末転倒である)

 

 

 

 

自身のことも書いたので長くなりました。

伝わるのか、これ。

 

自身の記録のためであって

べつに伝えるために書いてるわけじゃないから、いいかw