あ し あ と 。

生きてます。自由に。

不食生活3ヶ月目

今日は3月14日。

 

Twitterによると、12月14日に「不食スイッチオン」とあるので

不食(を目指す)生活を始めて3ヶ月目ということらしい。

不食の恩恵はもう、数えきれないくらいあって

このブログにも記して来てはいるけれど、まだまだネタはあるぞw

 

不食を目指す、というのはもうやめた。

わたしの中で、不食は「結果」であって「目標」では無いということで落ち着いたから。

 3ヶ月、身体を慣らすために意識的に「食べないように」してきたけど、それももう終わらせて良いかな。

これからは「食べても、食べなくても良い」を徹底する。

今のところ、一日半食(一食と微食の間くらい、軽食)

カラダ的には「20時間は固形物を胃に入れない(腸を休ませる)」のがベストな感じ。

ちょうどその頃になるとお腹が空いて「食べたい!」になる。

 

でもこれは基本形であって、

生理前は朝から丼メシいっちゃうし

逆に生理が来たら2日くらい食べないし

夫が出張で長期不在になると最初は食べないけど後半めっちゃ食べちゃうし

(これは寂しい=魂の栄養不足の状態になるからだと思われる)

体調や気分でだいぶ変動する。

 

おつきあいで食べないようにはしているけど

例えば

母や夫や友人がわたしのために作ってくれた食事やスイーツとか

神様にあがったお下がり(神事後の直会やカムイノミ後の食事など)などは

それがどんな食べ物であろうが、添加物バリバリだろうが、最高の魂の御馳走であるので、ありがたくいただくし

宴の席も、楽しければ食べたければ食べる。

「わたしは不食なので一切食べません!」なんてことを発言するのは非常に野暮のような気がする。

 

「食べないの?」「食べようよ」などのお誘いがあるときに答えるのが少々めんどくさいなぁと思うので「あ、雪子は今は食べないんだな」と思っていただけるとありがたいのだが…不食生活を公言していないので仕方ない。

 

 

まぁ、そんな感じで過ごして、気がついたら食べてないわー、食べなくても平気だわー、になっていけば良いのではないでしょーか!

 

そもそも始めたときに「三年後には不食になってればいいなー」って言ってるんだし

 

三ヶ月くらいで完璧な不食になってたら「オレすごい!」って得意になって(またしても)キモいヤツに陥ってしまってたかもしんないし(笑えない…( ;´Д`))

 

ちょうどいいかげんで行こう。

わたしらしく。

 

 

 

 

 

 

 

それにしても、だ。

不食(という選択)をしたおかげで、本当に人生ひっくり返るくらいの気付きがあった。

「食べなくて良い」って、それほど衝撃的なこと。

 

だって、ニンゲン、食べなきゃ生きられないって、常識でしょ?

 

 

 

 

 

わたしは自分のことを「常識をぶっ壊すために来た人間」だと思ってる。

 

生まれてからずっと「この世の常識」に違和感しか無くて

闘って、破れて、挫折して

そこから這い上がって今があるわけだけど。

 

絶対に屈しない!

闘って負けて血反吐を吐いて地べたを這いずり回ったとしても、絶対奴らの側には行かない!!

わたしは、わたし自身で在り続けるんだ!!

(↑若干尾崎豊のニオイがしますがw わたしはPUNK方面に行きましたので、尾崎は恥ずかしい存在でタイムリーには全く聴いておりません。後々ハマりましたけど。)

 

というところは、何一つ、全く揺らがず、あるわけ。

反体制、アンチシステムがわたしの根っこなわけ。

 

「政治」に、というより「常識」に、常に対抗して来た。

 

アナーキー イン ザ サッポロ。

 

だから「他人と違うこと」「つまはじきにされること」なんかは全然平気。

自分を曲げてどこかと誰かと合わせるくらいなら

人から冷たい視線を浴びようが、嫌われようが、平気、どころか

むしろ快感だったりする。

 

そんな「生まれながらの非常識」なわたしでさえ

「食べないと人は生きて行けない」という常識で生きて来た。

なーーーーーーーーーーーんの疑問も持たず

「人は食べるもの」って、思い込んで食べてた。

 

 

不食をやろうってストンと自分の肚に落ちたとき

ビックリしたよね。

 

「なんだ、別に食べなくてもいいんじゃん!!」

って。

 

 

 

 

常識というか、植え付けられた知識『〜ねばならない』『〜であるべき』は

まだまだあるもんだなぁ。

 

 

 

そして、そこから怒濤の気付きがあって

 

多分、まだまだぶっ壊せるな、わたし、と思う。

ぶっ壊すためにお役に立てそうだな、と。

 

 

要らない常識(全ての常識が悪だとは言いません)をぶっ壊して次へ行く、お手伝いが出来るんじゃないか。

 

 

もうそろそろ、不食のことも公言したほうが良いかもしれない。

 

わたしのやってることにとやかく言われたく無いので公言しなかったけど

まぁ、何を言われても気にしないし関係無いから良いか〜という気になって来た。

【公言しない、とやかく言われない、ただし言い訳必要】

or

【公言する、何かと言われる、無視も出来る】

どっちが不自由なんだって話だしね。

 

一番大事なのは「わたしの自由」なのだから。

 

 

わたしが自由にやっていることが

誰かの常識もぶっ壊すことになったら良いな、と思う。

 

 

 

 

世の常識にがんじがらめになって苦しんでるひとがわたしを見て

「え、あんなんで良いの?」

「あんな生き方で許されるの?」

「あれで生きて行けるの?しかも楽しそうに?」

って思ってくれたら。

 

わたしは啓蒙はしない。

ああしたらいい、こうしたらいい、なんて言わない。

求めてない人に手助けもアドバイスもしない。

(その代わり、「雪ちゃん助けて!」って言ってくれたら全力で助けるよ)

わたしが自由でいたいから、みんなにも自由で居て欲しい。

悩みも苦しみも悲しみも、ある意味自由。

悩まなくてもいいし、苦しまなくてもいいし、悲しまなくてもいいのに、

それを選んでいるのは自分の自由意志。

だから、それをどうにかしようとは思わない。

 

その代わり、自由なわたしの生き方を見て何かを感じてくれたら、と思う。

わたしは、常に全力で、

「俺の生き様、見とけやぁぁぁぁ!!!!」

って生きているよ。

 

こけても、ボロッボロになっても、自分に正直に生きることを続ける。

 

不食のことも、わたしが公言することで

そこから何かを感じてなにかを発見して何かが変われば良いと思う。

 

ま、どーせ

「雪ちゃん、また変なこと言い出した…」くらいな感じだろうなwww

 

それもまた本望なり。

 

ドン引きされるのなんか慣れてるよ。

じゃなかったら大麻の活動なんか出来るかいな。

※わたくしは吸引はしませんのであしからず

 

 

 

要らない常識をぶっ壊して次へ。

 

そのお役目があると勝手に思っているので、思う存分やらせていただく。

 

今から次の「要らない常識」がやって来るのが楽しみで仕方がないぞ。