あ し あ と 。

生きてます。自由に。

ただいま、ワタシ

いやー

長かった。長い日々だった。

やっっっっっっっと!帰ってきました。

 

 

 

自分自身に。

 

ただいま、ワタシ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日

 

 

 

 

 

 

 

気がついたら自分自身を失っていて

どこへ行ったら良いのか

どこへ帰ったら良いのか

さっぱりわからず

ただただ迷路の中で放心しておりました。

 

そんなときもあらぁな、

いつかは終わる、いつかは出口が見つかる、と

わかってはいても

実際迷路のなかにいると、

アタマではわかっていても

 

単純に、辛い!!

 

 

 

 

 

こんなにつらいのは、多分初めて自殺未遂をした22歳の時以来。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと抽象的すぎるので順を追って記述していこう。

(出来る範囲で)

 

あれだけ「一番大事なのは自分自身」と言い続けていても簡単に見失ってしまうのだ、という脆い自分に対しての戒めとして、あしあととして、記録として。

 

 

 

 

 

 

 

 

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辛いなんて、思ってもいなかった。

一生懸命だったし、やりがいもあったし、なんたって、コレがワタシ自身のやりたいことなのだ!と思い続けて行動していた。

 

 

 

 

新十津川に来てから。

 

 

 

 

 

 

地元開催のイベントには必ず顔を出し

公的な機関の場にも挨拶をし

知人を通して地元の仲間を紹介してもらい

紹介された人たちとはなるべく交流を持つようにした。

 

新十津川のたくさんの人たちに

わたしたちのことを知ってほしかったし

一緒に楽しいことを出来たら良いなと思っていた。

 

 

 

ただの移住だったら、ここまではしなかったと思う。

交流もそこそこに、のんびりと田舎ぐらしを楽しんでいたかもしれない。

 

 

でも、この場所は、夫が立ち上げた会社の、新事業所。

わたしが、その所長。

 

「認めてもらいたい」

「成功しなければ」

「夫に恥をかかせてはいけない」

「負けないぞ!!」

 

もう、今思い返しても

このワタクシの思考にありえない言葉たちである。

一見頑張っているようなキレイな言葉だが、

ワタクシ雪子にとってはもう、真逆。正反対。

 

 

新十津川に行く以前の友人たちなら周知のことだが、わたしは自分が満足することしかしないので、「理解されなくてあたりまえ」「嫌われるの上等」「他人は関係ない」「夫は後始末役」で生きている。

 

(言っておくが、コレは単なる我儘ではなく、自分自身の満足が結果的にこの世のためになる、と確信しているから平気なのである。

自由と責任は一体。)

 

嫌いなひとには近づかないし、

ましてや「成功するために他人に認められようと努力する」、、、、って

 

古い知人なら「どの口が言ってんだゴラァ!」と怒鳴るところであろう。

 

 

 

しかし、何故か、気がつけば、

そんな思考回路になっていたのだった。 

そして当然、そんな思考が自分を蝕んでいっていることも

倒れるまでわからなかった。

 

 

 

 

 

 

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発端は、あるプロジェクトが頓挫してしまったことだった。

 

 

 

そのプロジェクトを思いついたときは「コレしかねぇ!!」くらいナイス企画だと思ったし、絶対ウケる、絶対成功すると思っていた。

思えば

やらねばとう思いが切羽詰まり過ぎて

脳内イケイケ過ぎて

躁状態だったのかもしれない。

ガンガン行動して、ガンガン話進めて、ガンガンお金もかけて

 

 

 

 

結局、だめになった。

 

 

 

頑張れば、進められたかもしれない。

でも、もう限界だった。

 

ビジネスパートナーとして相手のある話だったのだが、

その人物に対して、それ以上の信頼が持てなくなり

結局わたしからその話を終わりにした。

 

 

スッパーンと足元をすくわれた気がした。

あー、そっかー自分がどんなに頑張っても駄目なんだー

 

 

 

 

 

 

それでも、まだそのときは

 

Facebookに「心折れたー」と投稿するくらいの気力と

「コレが駄目なら次はアレだ」と動ける体力はあった。

 

 

 

 

 

 

 

しかし

 

 

 

 

 

 

 

もう、限界だったのだ。

 

 

 

限界突破したことさえ自分で気がつかないほど

 

わたしは「自分自身から離れていた」。

 

 

 

 

アタマで、気力で、努力で、世間体で、、、、

今まで自分が必要ないと言っていたものを原動力として

なんとか挽回しようとしていた。

 

  

 心の家族たちからは(頑張っていることに対して)

「雪ちゃんらしくない」

「…バカなの?」

と言われ

(「あのまま続いてたら本当にぶっ倒れていたよ、頓挫して良かったんだよ」とも言ってくれた) 

実の家族からは「もっと働け、稼げ」と言われ

 

自分でも空回っているのは十分わかっていた。

 

 

 

 

 

 

それからは何をやってもうまく行かなくなった。

 

 

いろんな、小さなプロジェクトも

 よし、やるぞ、と動き出すと

支障が出たり体調を崩したり

小さな問題が発生して、途端に行き詰まる。

 

 

次こそは

次こそは

 

諦めの早いわたしの、どこにそんな根性があったのだというくらい

始めては駄目になっていって

 

正反対に

夫のやることは全て順調に展開していって

 

もちろんそれは喜ばしいことだし

やるべきことをやっているときはそれが当たり前なのもわかっているし

自分を誰とも比べても意味が無いこともわかっているのに

 

どんどん卑屈になって

 

あー

あたしなんか、なにやっても無駄だし

てか

もうここ(地球)に居る意味わかんないし

とっとと

帰りたいんですけど

 (もちろん帰りたいのは札幌ではなくこの世ではない故郷)

 

 

 

という症状がどんどん悪化して

 

夫に「帰りたいー!」と泣きつく日々。

 

 

 

 

もう、これは得意の「セルフ臥褥療法」だ。

それこそ若い頃、死にたくなるほど行き詰まると行っていたセルフ臥褥。

とにかく一切の『行動』をやめる。

 

当時一人暮らしをしているときは

必要最低限の食料を買い込み

電話の線を抜き(今だと携帯の電源を切る)

家のチャイムもならないようにし

テレビもネットも見ない、外界の情報を一切シャットアウト。

食う、寝る、出す、だけの日々を、数週間過ごしていると「ナニカ」したくなってくるので、その時まで

自発的に、動きたくなるまで強制引きこもりをする。

 

 

今は家族もいるし、同じようにはいかないが

近い生活をすることにした。

 

出かける用は必要最低限 

基本話し相手は夫と愛犬のみ。

 

ほぼ裏垢(知り合いほぼ居ない)のTwitterは毒吐き場として楽だったけど

リアルなFacebookは即アンインストール

 

入ってくる情報も発信する情報も極限まで少なくし

 

 家事もそこそこに

毎日布団の中で携帯漫画(無料)を眺める日々。

 

 

最初の頃はそんな怠惰な生活で良いのか、

アレもコレもやることは山のようにあるのに、

夫だけを働かせて良いのか、罪悪感でいっぱいだった(思えばコレもアホである)

 

しかし、どうせ何かやろうとしてもうまくいかないんだし寝てるしかねーべや的な

自暴自棄と強制臥褥がマゼコゼな状態で過ごしているうちに罪悪感も減り夫に「なまら面白い漫画見つけた!」と告げるまでになった。

 

 

 

夫はそんなわたしを叱るわけでもなく(本心はわからんが)

「寝てていいよ」「ぼくがやるからいいよ」「毎日美味しいごはんをありがとう」と言い続けてくれた。

なんと良く出来た夫なのだろう。

まぁ、毎晩帰りたいとギャン泣きしたり本当に帰ってしまうよりかは大人しく布団に入ってたほうが安心というものだろう。

 

 

 

 

布団で漫画を読む。

 

 

 

 

 

これは幼い頃からのわたしの「一番好きなこと」である。

 

 

チセ建設だのブッシュクラフトだのゆだねきる旅だの

アウトドアなアクティブな人間だと思われているかもしれないが

 

 もちろんそれらも好きでやっていることだが

 

 究極に好きなことをしていい、と言われたら迷わず「布団で漫画を読む」。

 

 

ちなみに次点は「風呂入って酒を呑む」である。

 

 

 

 

さて、

 

そうして、

 

気がついた

 

 

一番辛いのは自分自身とつながっていないこと

 

なんだということに。

 

 

 

辛いのは

 

失敗したからじゃない

うまくいかないからじゃない 

 

 

 

 

 

 

今までなによりも大切にしてきた『雪さま』を、

新十津川に来てからは完全無視の生活をしてしまい

また彼女の声が全くきこえなくなってしまったことだった。

 

 

 

(雪さまについてはこちらを参照)

 

 

yukikoashiato.hatenablog.com

 

yukikoashiato.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

雪さまは、叫んでいたはず。

 「そうじゃない!」「いやだ!」と。

それなのに「やらねばならない」という勝手なアタマの思い込みで

雪さまの声を無視し暴走してきたのだ。

いつもの雪さまの小さなお仕置き(問題発生や体調不良)があったのにもかかわらず、それすら無視してきた。

 

 

気がつけば雪さまの声は聞こえなくなっていて

こちらから話しかけてもガン無視(当然である)

 

心のおきどころが全くわからないことが何より辛かった

魂の迷子になってしまったのだ。

 

 

 

雪さま(自分自身)と繋がっていない、ということは

他の存在たちとも交流が出来ないということだった。

 

今まで自然に会話しているように感じていた

木々や草や花や鳥たちともすっかり分断されたようだった。

これは本当に凍えるような孤独感だった。

 

自分自身を失うということは

こんなに恐ろしいことなのか…

 

仕事なんか出来なくても良い

成功なんかしなくて良い

友達もお金も情報もたくさんなんかいらない

 

ただ、わたしはわたしでいなければいけない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分自身を取り戻すべく

やはり情報のシャットアウトと引きこもり状態を続けて(なによりも交流しなければいけないのは自分自身なので)

内なる自分の声だけを聴き

 

アタマの中に浮かぶ「やらなければならないこと」ではなく

自分のなかから湧き出てくる「やりたいこと」だけを尊重する生活。

 

 

 

 

そうしているうちに、KR女史に依頼していた、半年間に及ぶシピラサコタンのランドクリーニング(ホ・オポノポノの土地の浄化)が終了した。

わたしたちが管理人となった新十津川のこの土地が、今までの歴史、先祖、生き物たちの記憶…全てがゼロ状態になったのだ。

 

このことと直接関係あるかどうかはわからないが

この頃から

だいぶつながりを取り戻していたような気がする。

 

 

ある日

 

わたしたち

どうして新十津川に来たのかな…

どうしてチセを建ててるんだろう…

 

新十津川の一年目の畑で唯一まともに収穫出来た「ひえ」を刈り取りながらぼんやり思っていたら

 

その稗は、チセが完成してチセノミ(チセの儀式、新築祝いのようなもの)のときに振る舞うトノト(お酒)を作るためなのだ、と理解した。だから、稗だけは育ったのだと(他の雑穀は駄目だった)

 

そして、その直後、あるメッセージが降りてきたのだった。

 

(この件に関してはかなりスピリチュアル色が濃く、公言して良いかも微妙なのでもし機会があればまた)

 

 

所謂、お金を稼ぐ仕事ではなく

それをするために自分はこの世に存在しているのだ、という志事。

散々仕事に振り回されたあとにいただいたようだった。

 

何故新十津川なのか、何故わたしたちなのか、何故チセなのか

点と点だった疑問たちが線で繋がったような気がした。

 

雪さまがウインクしていた。

 

それからは、全てが面白いように転がっていった。

 

扉が開いたように

堰を切ったように

便秘が治ったように(笑

 

 

 

ていうか

こういう流れが通常なのだけれども…

 

完全行き詰まっていたからこそ感じるこの開放感。

 

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流石のタイミングで洞爺湖 朝日を浴びながらカヌーに乗った






 

あぁ

やっと帰ってきた!

 

やっと自分自身に戻ってきた!!

 

 

ただいまー!わたし!!

 

疎かにしてゴメンナサイ!

 

 

 

 

辛い時に寄り添ってくれた怒ってくれた励ましてくれた

大好きな心の家族

そして新しくて懐かしい出逢いが続く。

 

いろんなことが終わって

いろんなことが始まって

いろんなことを取り戻す

 

 

人生を、このわたしの世界をクリエイトしていく。

選択していく。

 

 

 

全ては創造しているようで、全て決まっていること

沸き起こる熱い思いも負の感情も、自分から自然発生しているようで、最初からそうなるようになっているのだ

いろんな矛盾をはらみながらその流れに抵抗せず揺蕩うしかない。

 

それがゆだねきるということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

さぁ

 

また動き出しますよ

 

 

 

とはいっても

 

 

 

 

 

 

わたしはわたし

 

これからも

わたしのやることをやります。

 

 

 

 

やりたくないことは、やりませんw

 

 

 

 


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洞爺の虻田神社でひいたおみくじ。

わかったっちゅーねん(笑)