あ し あ と 。

生きてます。自由に。

ウーマンラッシュアワー村本大輔独演会in美瑛 に行ってきた。

※後半追記しました

 

タイトル通りなんですが

ウーマンラッシュアワー村本大輔独演会in美瑛」に行ってきました。

 

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特別ファンというわけでもなかったし

そもそも、テレビもねぇ、ラジオもねぇ、新聞もねぇ、

ネットニュースもSNSも見ない今の生活だと

YouTubeでネタを見たことあるとか(ネタは好き)

Twitterで叩かれてる印象とか

facebookやってる頃はちょっと意識高い系の友達が彼の記事を良くシェアしているのでたまに読んでみていたとか

その程度の認知度。

 

でも、何故かどこかで今回の情報が入ってきてチケット情報を見てみると

前日の富良野は満席、美瑛もあと2席で満席という状況で

夫に「コレ行ってみる?」と聞くと「いいね」とのことなのでその場でチケット予約。

 

その後も特に予備知識を入れることなく、行ってきました。

 

時事ネタを早口で喋りまくる漫才師、ネットで叩かれたり炎上してもメゲないひと、そんなひとが近所(でも無いんだけど)に来るから行ってみよ、というノリで。

 

 

 

 

 

 

 

結論から申しまして

とても良い時間だった!

 

 

面白かったとか感動したとか、、、じゃなくて

いや、とっても面白かったです、ゲラゲラ笑いました、が

なんというかこの感情をうまく表現できない、けど

その後もいろいろと思いが巡ってしまうほど良い時間だったのです。

 

 

終演後「いや〜、良かった!」という夫に「うん…」しか言えないわたし。

でた言葉は「友達になれるな…(ボソっ)」

すんげー偉そうな発言だけれども、簡単に人を褒めたり認めたりしないわたしにとっては最高の賛辞のつもり。

 

それに対しての夫の返事がそのすべてな気がします。

 

「そうだよね〜

全部ゆきちゃんが普段から言ってることだったもんね〜」

 

 

そうなんです。

なんというか、価値観が非常に近いというか

仲間がいたーという感じだったんです。

 

 

話(ネタ)の内容、考えていることが「わかる、わかる〜!」系の話が合う友達というより(そういうひとはたくさん居る)

 

生き様が「やっぱそうだよな!」っていう仲間。

 

 

自由で、孤独で、世間とも自分とも戦って、

すべてをぶっ壊してはまた作っていく

そういう仲間。

 

ま、たった2時間程度話を聞いただけで知ったふうな口をきくな、って感じかもしれませんが(汗

わたしは彼を好きだな、応援しようって想ったことは間違いないです。

 

 

なんといっても、彼は強い。しっかり「自立」している。

考えていること、言っていること、行動にブレが無い。

自分は自分のやるべきことをやり全てに責任を持ち

一切をまわりのせいにしない。

 

わたくし常日頃から自由と責任はワンセットだと申しておりますが

ちゃんとそれが出来てるひと。

 

 

あと

新しい(っていうか当たり前なんだけど今のひとが見失っている)価値観をブチ立てて発信している系のひとって

気がつけば信者を従えちゃうみたいになってることが多いんだよね

芸人だったら某絵本芸人とかさ

◯◯エモンもそうだけど

憧れが盲信になってそれが団子になって「何か新しいことが出きるかもしれない自分」に酔ってる信者たち、

もう、わたし、それが超苦手で。

そういう、常に新しいことを発信して、ひとを育てたり仲間内で何かを達成していったりとか、それはそれで素晴らしいとは思う。それに憧れるのもわかる。

わたしは苦手、というだけで。

絵本芸人もエモンも別に嫌いじゃないけど周りの信者がキモい、それだけ。

 

あ、全然違いますが元服屋の社長もなんか綺麗事言ってますけどあれは認めないです。ファストファッションとは何か、安い服が出来上がる裏でなにが起こっているのかそれを認めて改善するような行動をしない限り、認めないです。

ファストファッションの真実は

unitedpeople.jp

こちらの映画を是非。

 

 

村本さんには、そのキモさが無かったのだー。

信者を受け入れない潔さ!

「素直に信じるな!」の言葉!

良い意味で裏切りつづける姿勢!

 

わたし、ここは清志郎と近いものを感じました。

清志郎は、常に自分がやりたいことだけをやりつづけ、

結果それがファンを裏切り続けることになろうとも全く気にせず

自由だけを表現してきたひとだと想ってます。

 

エキセントリックで尖った正体不明のロックンロールヒーローは

 

子供を舞台に上げ

ジャニーズとドラマで共演し

生命保険のCMに出て

自転車に乗り出した。

 

そのたびにファン(わたし)は「それはロックじゃない〜!」と言ったけどどこ吹く風。

どこまでも自由でどこまでも清志郎清志郎だった。

 

 

わたしは清志郎の歌はもちろん、その生き様に大きな影響を受けたのよね。。。

あれでいいんだ、って。

ロックミュージシャンだから、じゃなくて

生き方そのものがロックなんだ、って。

 

 

村本大輔もいつまでも村本大輔であってください!

 

 

本当はさ、こういうひとにこそ、日本という国でボケてしまったひとたちの目を覚ますよう

自分の言葉で発信しつづけていてほしい、

言葉というビンタで眠っている人々を覚醒してほしい

 と願いたいところなのだけど

 

来年から半永久的にアメリカへ行ってしまうのだとか。

 

残念だけど、それこそが彼なりのビンタなんだろうなと思います。

 

いつまでも自分を信じて試して生きる姿こそが人々の目を覚ます結果になるのだろうと。

 

 

わたしもいつもそのつもりで生きています。

誰かを世の中を変えたいとかそのために動くことはできないけれど

恥じることなく自分の生きる姿を見せていきたいと想ってます。

「俺の生き様見とけや〜〜〜〜!!」と。

(ま、今は絶賛休眠中ですけどもw)

 

 

 

 

 

 

 

 

最後にちょこっとそのわたしのはなしをさせてもらいます。

 

「雪ちゃんは強いから(そんなことが言えるんだ)」と良く言われます。

ずいぶん昔にスピリチュアルカウンセラーみたいなひとに

「あなたは強すぎる、あなたには簡単に出きることでも人はそうじゃないから気をつけて」みたいなことを言われたこともあります。

 

 

いや、でもそこは言わせてほしい

 

わたしだって最初から強かったわけじゃない、と。

 

戦って、戦って

地べたを這いずって血反吐を吐いて、何度も負けて

でも絶対降参しないぞ、と戦い続けて強くなっていったんです。

 

何と戦ったか?

 

世間とか常識とか社会とか体制とか、

所謂ひとを縛り付けて押さえつけて自由を奪うもの。

相手は人間でもあるし、そのひとたちの思想だったり言動だったり

冷ややかな眼だったり、社会という世の空気だったり。

 

あるいは、それに屈していまいそうになる弱い自分

 

そんなものと戦ってきた。

 

「みんなと同じ」になることはいつでも出来たけど

絶対それだけにはなりたくなくて

 

何度も自分を殺そうとしたし精神病院にも入ったし

死ねないから生きるしか無い糞尿製造マシーンだった時期もあった。

 

でも、

 

逃げなかったんだ。

 

負けても、逃げることだけはしなかった。

 

助けてもらうこともしなかった。

 

もちろん、たくさんのひとに支えられたから今があるけど

同じくらいたくさんのひとを傷つけ傷つけられ

たくさんのひとを裏切り裏切られ

清志郎とピーズのハルくんとイースタンの吉野の声を頼りに

「こんちくしょー」って生きてきたんだ。

 

そうして強くなったんだよ。

 

それだけは今でも誇れるよ。

 

逃げなかった

みんなと同じにならなかった

与えられた当たり前の価値観を信じなかった

わたしはわたしとして生きてきた

 

これは最大の自信で、これからもそれで生きていける。

 

なにも持って無くても

誰からも認められなくても

 

丸裸の自分で堂々と生きていける。

 

最初から強かったわけじゃないよ。

 

でもいまは、強いよ。

 

「あ、あんな生き方で良いんだー」って皆に想ってもらえたらいいな~と思って生きてるよ。

 

あんなに適当で、好き勝手やっても幸せに生きれるんだーって。

だから「俺の生き様見とけや〜!」なんだよ。

 

自分が自分自身であったなら、それは可能なんだよ。

 

幸せは外には無い、全ては自分の中にあるんだって思い出せたら

そこからだよ。

 

 まるごと自分自身で生きようぜ、みんな!

 

 

 

 

 

 

 

 

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※村本さん本人にリツイートされたようで(夫情報)、アクセス数に驚いています。すげー。

いつもどーり酔っ払って好き勝手書いていますし(まぁ、いまも酔ってますが)改めて読むとたくさんのひとに読んでいただくには言葉が足りないような気がしたので追記します。

 

 

 

 自分語り(照)の後半の文章、とり方によっては「逃げるな!」「頼るな!」「強くあれ!」みたいに感じるかもしれませんが

 

そうじゃない!!です。

 

わたしが結果的に強くなった理由はそれですが

そうあるべき、ではないです。

 

 

 

例えば

 

いじめを受けているとか 

毒親の元にいるだとか

努めている会社がブラックだとか

何かしらの差別を受けているだとか

 

「そういうこと」からは逃げるべき、

 

いや

それは「逃げる」ではなく「捨てる」で良い。

助けてくれるひとがいれば頼って良い。

 

 

一番大切なのは「自分が自由に幸せである」ことで、

それを踏みにじることは捨てちゃって良いんです。

 

「自分が自由に幸せである」ことを望み続けることから、逃げないでほしいんです。

逃げなければいけないのは、世間のこうあるべきという洗脳からです。

「自分が自分であること」を得るために、それ以外ー学校でも親でも会社でもーそんなものは、捨てて良いんです!

自分が一番しっかりと掴んでいなければいけないのは、自分自身です!

 

 

 

それは、わがままでもなんでもない。当たり前のことです。

 

 

 

わたし自身、20〜30代は

友達はいないし、仕事は転々としたし

稼いだ金はすべて遠征ライブに使ってたし

自慢できるほどのだめんず・うぉ~か~だったし

主な食事は酒だったし

世の中的にはクズ扱いだったわけですが

 

それはそれで、(そのときは決して幸せとは思えなかったけれど)

嫌いな友人は捨て

したくない仕事を捨て

とにかく好きなことしかしなかった。

 

そこで自分を卑下することだけは、しなかった。

 

「クズですが、なにか?」

で生きていた。

 

村本さんがネタでも言っていた

「中卒ですが、なにか?」

「ゲイですが、なにか?」

朝鮮人ですが、なにか?」

それで良いんだよ!!と。

 

そのひとが何であるか、どーでも良いんです。

 

村本大輔村本大輔

雪子は雪子で

 

そのほかについてくる

「39歳独身彼女なしお笑い芸人の男」

「49歳社長夫人子供無しひきこもりの女」

 

 そこにはなんの価値も無いわけで。

 

 

ただし!

 

「自由と責任はワンセット」ですから

自分が自分の自由と幸せを得るためにはいろーんなことの責任をおう必要もあるわけです。

 

責任とは自分を貫くためのリスクとも言えます。

自分の好きなように生きるには、当然周りから批判されることも多い、それを受け入れる、耐えられる自分であることが必要なわけです。

皆から好かれたいええかっこしぃでは、絶対に自分自身にはなれません。

心の底から「わたしはわたしですが、ナニカ?」と、胸を張って言えなければなりません。

 

そして、当然ですが自分が出来ない理由をひとや周りの状況のせいにしてはいけません。

 

仮にあなたが誰かに「わたしは◯◯したいけど、あなたが居るせいで出来なくて死にたい」って言われたら、全力で「知らんがな!」ってなりませんか。

 

死にそうに辛いので会社を辞めたいけれど家族が居るから辞められないとか

離婚したいけど子供がいるから出来ないとか

親が、会社が、夫が、妻が、子供が、世間が、国が、、、、

男だから、女だから、若いから、年寄りだから、親だから、子供だから、立場があるから、立場が無いから、、、、、、

 

◯◯したいけど出来ない理由を、自分以外のせいにしない。

したいと思ったらしたら良いんです。「自分のために」。

 

出来ない理由が仕事なら退職のため

出来ない理由が家庭なら離婚のため

この世の現実的な然るべき対処をした上で、自分の幸せを掴み取るべきです。

 

無責任と言われようが人でなしと言われようが

自分を幸せに出きるのは自分しかいないのですから。

 

わたしはクズのような人生を経て、

自分自身だけで幸せになれる、を確立したときに

40歳にして今の夫と結婚しました。

 しかーし結婚イコール幸せではありません。

わたしにとって、ひとりで居るよりも夫と一緒に歩むほうが幸せだと感じたからそれを選んだだけです。

 

 

 

さいごにもう一度

 

 

 

「自分が自由に幸せである」ことを望み続けることから、逃げないでほしいんです。

逃げなければいけないのは、世間のこうあるべきという洗脳からです。

 

失敗も挫折も恨みも嫉みも愛も全部ひっくるめて、自分を突き進んでいきましょう。