あ し あ と 。

生きてます。自由に。

食じゃなくていい!魂の栄養を摂る。 【その四 スキンシップ】

これもまた書く必要あるか?という当たり前の栄養素。

 

愛する者と触れ合う。

最高のエネルギー循環方法!

 

スキンシップとは書いたけど、触れ合わなくても良い。

目と目で通じ合う〜(靜香)だけでも

意図するだけでも、充分循環出来る。

 

人でなくても良い。

犬でも猫でも鳥でもねずみでも。

前述した樹々や草花でも。

もっと言うと生命を持たない(が振動している)無機物でも。

 

ま、もちろん

「好きじゃー!!」つって

「わしも好きじゃーー!!」って還って来る方が、実感としてあるし満足度も高いので

今回はそこを書いて行きたいと思う。

 

 

 

yukikoashiato.hatenablog.com

この記事でも書いたけれど、わたしは他人に触れられるのが苦手だ。

それこそ「何でもいいから食べることはしない」食事と一緒で、「誰にでも触らせることはしない」。

例えば人ごみや満員電車などはガードすることは出来るけど

ガード無し&リラックスして受けるマッサージなどは見ず知らずの人には受けられない。

 下手したら要らんモンもらっちゃったりするからね。

 

そういう意味で逆に「欲しいモン」をもらえるのが

心を開いて触れ合うスキンシップ。

わたしは大好きな人、憧れの人には必ず握手か出来ればハグをしてもらう。

その人の持つバイブレーションを受け取る、それだけで「心の栄養」。

 

 

 

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愛犬、梅吉。

 

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んもーーーーーーーーーーーー

とにかく可愛い。

 

わたしは子供の時からあらゆるペットを飼って来て、犬も5匹目である。

でもこの子は本当に『特別』。

夫と結婚してすぐに来たからか、マジで我が子同然。

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 我が家に来たばかりの梅吉。わたしも若いw

 

 

こうやって、写真を眺めるだけでわたしの顔はほころび、胸がほんわかする。

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ま、そこに本物が寝てるんですけどねwww

 

この子と触れ合う。ナデナデする。喜んでるのがわかる。

わたしも嬉しくて嬉しくて

『愛の循環』が手に取るようにわかる。

 

 

わたしが台所に立っていると

梅吉が横になってリラックスした表情でじーっとわたしを見つめるときがある。

わたしは嬉しくなって自作の「梅吉の歌」を歌う。

「うめきち だいすきー♪」「うめきち かわいいー♪」

梅吉は嬉しそうに目を細めて聴いている。

その梅吉の姿を見てぞくぞくするほどの幸福を感じる。

触れ合わなくても、それだけでぐるぐる愛が循環している。

心が満たされる。

 

魂の栄養。

 

 

 

そして

これは自分でも「それはどうだろう…」と思うことなんだけれど

わたしが不食生活を始めたあたりから、梅吉の食欲がものすごいことになった。

単に怪我が完治して元気いっぱいになっただけなのかもしれないけれど

 

『もしかして、わたしが食べない分梅吉が食べて、LOVEパワー(魂の栄養)としてわたしに与えてくれているのではないだろうか…?』

 

と思わなくも、ない。

 

これに関しては「ま、どっちにしろLOVEパワーもらってるし!」ということで、どっちでもいいや。

 

 

 

 

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愛犬だけでこんなに栄養もらっちゃってて。

 

当然ながら、愛する夫とは循環していないときが無い、といっても過言では無いでしょう。

 

我々は周りも認める仲良し夫婦。

お出かけのときはいつも手を繋いでいるし

寝るときはお互い全裸で抱き合って眠る。

 

「愛しい!!!!」という想い、愛というエネルギーが自分から溢れ出て相手に届いてまた帰って来る。

触れ合えば触れ合うほど、循環すればするほど、そのエネルギーは増大する。

幸福感で満たされる。

 

『魂の栄養』としてはなによりもわかりやすい(実感しやすい)のではないだろうか。

 

 

 

 

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なんか、この魂の栄養シリーズを書いてて思ったけれど

 

結局は「自分を愛で満たすこと」が「魂の栄養素」だという結論な気がする。

魂の栄養をしっかり摂れていたら身体は維持出来るから、食べ物で摂る栄養は要らないということ。

それが『不食』なのではないか。

 

 

食べ過ぎてしまうひとはお腹が空いてるのではなく魂が満たされていないだけなのではないか。

 

魂の飢餓感が、「愛の代わりになるもの」(そんなものありゃしないのだが)を求めて、さまよい歩く。

 

それがある人には「食べること」なのかもしれない。

 

「人に認められること」かもしれない

「富やお金」かもしれない

「(単なる肉欲による)セックス」かも…

 

決して埋められない飢餓感を「ナニカ」で埋めようとしている。

 

 

 

 

 

わたしは不食をひとにすすめるつもりは無いし、幸せならば何を食べても良いと思う。

けど、これだけは言いたい。

 

 

 魂の栄養を摂ろう。

 

本当の愛で自分を満たそう。

 

それには、自分が本当は何を求めているのか知ること。

自分の中の神様としっかりと繋がること。

 

「ほんとうは寂しい」という本心から目を背けず

どんどん愛を与えて受け取って行こう。

 

 

 

 

 

わたし自身も『不食』『食べない生活』を目指す、というより

この自分を満たし魂の栄養をしっかり摂って生きて行く、ということのほうが重要な気がする。

 

うん。

大切なのは「食べない」ことじゃない。

愛で満たされれば「食べなくても良くなる」っていう、結果なんだ。