不食という宿題
思えば
どん底の闇の中にいたわたしが
本当のことを思い出しすっぽーんと光の世界へ行くことになってから
数々の人生における宿題(しかも難問)を出され、毎回毎回、ひーひー言いながらこなして来た。
どうして宿題がナニかわかるのか、宿題とそうじゃないものの違いは
『そのワードが頭から離れない』ということ。
同じ音楽が脳内でリフレインするがのごとく、
どんなに無視しても、忘れようとしても、とにかくその「言葉」そのものがずっとアタマを占めてしまう。
わたしが「わかったよ。やりますよ。やればいいんでしょう」と降参して、やりはじめるまで、それは続く。
最初は「レイキ」。
そもそもボディワークの学びの中でレイキという言葉に出逢い、そのレイキという言葉が気になって頭から離れなくて調べだした、それがきっかけで大嫌いだった「愛と光の世界」思い出すことになった。
なので、そのままあれよあれよと言う間に、それがナニカもわからないまま、レイキを習うことになって
施術に取り入れながらスピリチュアルな学びを始めた。
次は「リコネクション」。
わたしがスピリチュアルな世界に踏み入れた頃、札幌でも始まった、すぴこん(スピリチュアルコンベンション。現すぴま)へ出向いたときのこと。
あるセッションで「レイキ以上にパワーのあるヒーリングをやることになる」的なことを言われた。レイキ、というかヒーリングというものがまだ何かも良く理解出来ていない段階だったので「はぁ。」と言って終わり、のはずが、同じ日に、日本に来たばかりという「リコネクション」なるもののお試しも受けることになり衝撃の体験。「これはお試しではなくちゃんと受けよう!」と思ってから奇跡の連続で(長いのではしょる)気がついたらプラクティショナーになり、その後某スピリチュアルカウンセラーと組み、結構稼がせていただいた(当時「オーラの泉」ブームだったので予約は途切れなかった)。
次は「ホ・オポノポノ」。
当時大ブームだった「引き寄せの法則」「ザ・シークレット」。
わたし的にはそれほど興味も無かったジャンルだったが、パートナーに誘われ行ったセミナーの講師が後に「豊かに成功するホ・オポノポノ」の著者(ヒューレン博士との共著)になる河合政実氏だった。セミナーの中で始めて「ホ・オポノポノ」という言葉を聞き、引き寄せやシークレットより「わたし」は反応した。
懇親会で河合氏の隣の席になり、主催者達との酔った会話で適当に(決して真剣では無かった)発言した「今度はホ・オポノポノのセミナーやってくださいよぉ〜」の答えは「君がやればいいじゃない」。
「いやいや」「むりむり」…その後は例によってヒューレン博士の来札や河合氏の闘病等、奇跡(以下同文)&超苦労して実現する。
そしてホ・オポノポノは、わたしにとって無くてはならないメソッドとなる。
次は「農業」。
それはもう、いろーーーーーーーんな体験をさせていただき(嫌味)スピリチュアルな世界に心底嫌気がさし、もう足を洗おうと思ってた矢先の宿題がこれ。
一番意味不明だった。だって、当時は何の興味も無かったから。
「家庭菜園じゃダメ」「農家になるわけではない」わけのわからん宿題に翻弄され、しかしまた奇跡の連続(長いので以下同文)の末、有機の畑を借り新しい世界が始まり、結果、結婚相手まで見つけてしまった。
(今になって思えば)「農業と食の現状を知る」という宿題だったのかと。
これは大きな学び、というかまだ学びは続いている。
次は「飲食店」。
これは店名こそ知らされなかったけれどハッキリ「こういう店で働け」という指示があった。
これまた「えーーーーーぜっっっったい、やだーーーーーーーーーーー!!」だった。
水商売ももうこりごりだった。
ましてや料理は嫌いじゃないけど、それで食って行こうなんて微塵も思ったことが無かった。
しかしまた奇跡の(以下同文)により、名店に採用され修行を積むことになる。
「こういう店」という指示は(これまた今になって思えばだが)単に料理の勉強だけではなく、発注や仕込み、業者との付き合い、お客様への対応の仕方、オールマイティに学べる場であり、その後大変役立つことになる。
結婚を機に、退店。
結婚後、すぐに来たのが「大麻」だった。
これまた今まで色んな人から聞いても『ふ〜ん、大麻ね〜、良いんだ〜、へ〜』と通り過ぎていたモノだっただけに何故今なのか不思議だったが、あっというまにメイン活動になっていった。大麻の活動を堂々としたいがために、NPO法人まで立ち上げた。
これはもう最初から奇跡の(以下同文)で、面白いように人・物・情報が次々と繋がって行き、結局今のメインである「糸と布を作る」に繋がって行く。
大麻業界もスピリチュアル業界と同じく玉石混淆であり少々疲れてしまって
現在はマイペースに大麻とおつきあいしている感じ。
そして。
今の宿題が「不食」。
この前記事には3年前とあるが
昔のブログを漁ってみると4年前に「次の宿題、来ましたー!不食です!!」とお気楽に書いてあった。
が、当時わたしの中の「不食」という言葉の理解はかなりはき違えていて
「良い物を少しだけ食べよう♡」的に捉えている。(いやある意味間違ってはいないのだが)
そして奇跡の(以下同文)、食養生活が始まった。
かなりストイックな食生活を1年半程続けてある日「あ、もういいや」となり終了。
あの食に対する集中具合はなんだったのだ…とも思ったが
あの間違いとあの食生活があったから、そしてその後の奇跡の(しつこい)沢山の体験があったから、今やっと「不食できるわ」とストンと落ちたんだと思う。
4年前に今の不食生活したら(バカ過ぎて)死んでたわww
今回の「不食」という宿題は4年前にワンクッションあったから即「やろ」になった。
今までの宿題は、全て「嫌だ」「無理」と、出来ない理由を探して断り続けて、でも結局やれちゃってさ…(´Д` )という「やらされ感満載」だったけど
今回はバッチリチビ雪…じゃない、雪様とタッグを組み、たまに怒られながらも二人三脚で楽しく三ヶ月を過ごした。
食べてもいいし、食べなくてもいい
食べない方が体調は良い
アタマで食べていないか?今、本当に食べることが必要か?の判断
食べることに罪悪感をもったり我慢をするのは本末転倒
娯楽としての食を楽しむのはアリ
魂の栄養を摂ることを意識する
それには自分自身と繋がり、自分が本当は何を求めているのか知ること
目に見えない存在達が人間達を応援している
不食は結果であり、目的では無い
…
つらつらと
今まで感じたことを書いたら本の目次のようになってしまったが。
そろそろ公言しようと思うので
読んだお友達のみなさま、今後は「こいつは基本食べないんだな」ということで。
でも、「食べない人」になったわけではありませんので誤解の無いよう。
食べたいときに食べたいものがあったら、食べます。
夜は呑みにも行きますので誘って下さい。うふ♡