ゆだねきる旅、その後 その一
約20日間のゆだねきる旅が終わって
札幌に戻って
愛しい我が家に帰って
居間にゴロンと横になって
いつもの台詞
「あぁ〜、やっぱり我が家が一番だね!!」
が出る
はず、だった。。。。。。
愛しい我が家には変わりない。
あぁ、やっと帰ってきたねぇ。。。。
でも、息苦しくてたまらなかった。
寒い北海道で快適に暮らすための壁の厚い丈夫な建物は
閉塞感しか感じられなかった。
旅が終わってしまった寂しさだけではなく
「ここに居るのが辛い」と思うようになってしまった。。。。。
北海道も札幌も大好き。
この素敵な我が家も愛してる。
でも。。。。。
旅で山の中森の中で暮らして来て戻った札幌の我が家は。。。。。。。
山を降りて街で暮らすようになったハイジのように
「山に森に帰りたい」と泣いて夫を困らせる日々。
せめてもと
家の前で焚き火をしてごはんを食べたり、車の中でお昼寝をできるようにしてくれたり
なるべく外で過ごせるよう、付き合ってくれた。
夫が居ない日はひとりで車の中で寝たりした。
こんな立派な家があるというのに、わざわざ車で寝るなんて
おばかさんとしか言い様が無いけど
そうすることしか、出来なかった。。。。
家の中にある物の多さにも辟易した。
旅の間は
持っているものは
3枚の着物、一枚の羽織、1本の帯、3足の足袋、3本の紐
もんぺとTシャツ各一枚
あとは借りた上着とズボンが各二枚
折りたたみのマットレスとタオルケットと毛布
二膳の箸とボウルが二つと皿が二枚
小さなダンボールにつめるだけの保存食と調味料
魂が120%満足していたので食べることもさほど必要無く
夕方に一日一微食(ほんの少しの食事)
あとはその土地の美味しいお酒とおつまみで晩酌を楽しみ
お友達と会ったらやっぱりその土地の美味しいもの一緒にをいただいて
毎日同じ服でも何も気にならず
そろそろと思ったら川で洗濯して夫の張ったロープで乾かす
それだけで暮らしていた
から
家の中のあらゆる「モノ」の多さ、それに囲まれて暮らすことのストレスに
さらに参ってしまった。
梅吉をリードで繋げなければならない
以前は当たり前だったこれも、わたしにとって「辛い事」になってしまっていた。
旅中は山のなかで自由に歩き回っていた梅吉。
リードを繋いで一緒に歩いているときよりも、
お互いを意識しながら距離を保ちながら自由に歩いているときのほうが
ずっと「梅吉と繋がっている」感覚があった。
お互い好きな場所でオシッコもウンチもして一緒に「地球に愛のお返し」も出来た。
ここ住宅街では到底無理な話。
山の中で生き生きと動きまわり火を起こし何でも作ってくれた、そのカッコ良さに惚れ直した夫も
帰ってきて早速パソコンに向い難しい顔をしている…
そして、一番悲しかったのは辛かったのは
今、こうして感じていることも
時間が経てばまた通常に戻ってどうでもよくなることだった。
慣れたら、都会暮らしも、物の多い暮らしも、リードをつけて犬と暮らすことも、夫が出張で長いこと居なくなるのも
また当たり前になって何も疑問にも想わなくなる。
それがわかっているのが一番辛かった。
今のこの感覚
今の幸せを信じたい。
今の感覚をなかった事にしたくない。
だから、帰って来た暮らしに慣れないようにがんばったのかもしれない。
札幌は、もうわたしには無理かもしれない。
大好きな札幌、嫌いになったわけじゃないけれど
このままここには居られない。。。。。。
それはわたしの中で決まってしまった。
いずれ、札幌から離れて暮らすつもりではいた。
歳をとったら、日高で、出来れば新冠町で山と海を眺めながらゆっくり暮らしたいね
と夫とも話していた。
歳をとったら、じゃなく
今、じゃないの!?
ある夜のことを思い出した。
山形の最上川で野営した夜のこと。
あまりにも日々が幸せで
「毎日こうして暮らしたい」とお願いしてみた。
家を持たず、日々旅をしながら暮らしているひとは多い。
わたしたちもそうやって生きて行けるのでは。
神である雪様のこたえは「NO」だった。
てっきり大賛成されると思ったのにダメ出しをくらったのでびっくりした。
「まだ札幌でやることがある」。
え〜〜〜〜〜(´Д` )
ちょっといじけて、さらに交渉してみる。
どうしたら許してもらえる?
どうしたら、こういう旅をしていられる?
「年に二回、こういう長旅をしていい。
畑仕事が始まる前と、終わった後。
その時期に好きなだけ、好きな土地へ行っていい」
わたしにとっては妥協案ではあったけれど
「二度とダメ」と言われないだけいいか…
よし、その年二回を楽しみに日々頑張ろう!!
そう思ったのだった。
そして
もうひとつ
旅に出る直前にあった出来事を思い出した。
東川のヘンプスクールで出逢って
うちの大麻糸績み講座にも参加してくれていた、るみこさんが
我が家に久々にやって来たのは本当に旅に出る直前のことだった。
るみこさんとはスクールや講座のときに顔を合わせる程度で
プライベートで連絡を取り合うことも無かったし
それほど親しいわけでもなかったのだけど
「織り機を処分しようと思うが雪ちゃん要らないかい?」と連絡があり
「欲しい!」と伝えると新十津川町から札幌までわざわざもって来てくれたのだった。
そのとき、世間話をしながら
「今住んでいる土地と家を売りに出そうと思っている」という話を聞いて
「そうなんだ〜、良い買い手さんが見つかると良いねぇ」と答えていた。
もちろん、その土地も家も行った事も無いし
そもそも新十津川ってどこ?だった。
新十津川に行ってみよう!
「土地はまだ売れていませんか?」
気がつけばるみこさんに電話をして、夫と梅吉と見に行っていた。
初めて入った初めて見た土地は
見渡す限り広がる田園とそびえる山々
一目惚れだったけれど、
行く前から既に気持ちは決まっていたのかもしれない。
田圃から見たるみこさんのおうちと庭
庭から見た風景
庭が既に森のようで
果樹や花もたくさんで
そのときのわたしにとって、なんだか夢のような景色だった
大きな母屋のある、1700坪の土地。
桑の木を植えて蚕を飼って糸をとり、織る
紅花も植えて染色する
畑で食べ物も育てられる
自分は小屋を建てて小さく暮らす
母屋は人が集まる空間にも出来る
夫にもわたしにもそれぞれ最高の仕事部屋があり
犬もそこでのびのび自由に過ごす
そんな夢のようなことが実現出来るんだ…
思わず武者震い。
「帰りたい、ここじゃない、どこかに」
毎日泣いていたわたしに、ちゃあんと用意してくれたんだ!
わたしも夫も「どうする?」と尋ねることもなく
この土地を譲っていただけるよう、話は進んでいた。
それからわたしは
今の札幌の土地と新十津川の土地のクリーニングを強化し
出来るだけこの新しい土地に通い
たくさんの存在達とコンタクトを取りながら
どうしても欲しい!とか
買うお金はどうするの?とか
〜になったら、あるいは、ならなかったらどうしよう、とか
何も想像せず心配せず不安にならず期待もせず
ただ、全てが
なるであろう本来の姿になれるよう「ゆだねきって」いた。
つづく