ゆだねきる旅、その後〜その三
8月8日のFacebookの投稿よりそのまま引用
【不思議ないちにち】
8月8日は新十津川で過ごしたいなぁと思いつつ、流れにゆだねていたら
結果
森や動物や温泉に癒され
血ではなくタマシイで繋がる『新しい家族』
お金ではなくイノチが循環する『新しい暮らし』
いろんなカタチを語りあいながら、満たされた気持ちで過ごした。
そして今日
昨日行けなかった新十津川神社にご挨拶に行って、さぁあとは夫婦山で霊水をいただいて帰ろう…
ところが、もう何度も行っている夫婦山に辿り着くことが出来ない!迷って迷って、ナビに頼っても全然違うところに連れて行かれ、さっき出発した新十津川神社の前を四度も通るハメに…
なんだ?まだ神社に用があるのか??
もう霊水は諦めて帰ろうとしたら「出雲大社」の看板。
あぁ、そうか、おおちゃん(大国主命、わたしの父的存在)にも挨拶しないばダメか。
挨拶を済ますと、これまた今まで目に入らなかった神語『幸魂奇魂守給幸給(さきみたま くしみたま まもりたまひ さきはへたまへ)』の解説が目にとまり、しばし立ち尽くす。
出雲大社の目の前には「新十津川開拓記念館」があり、ここに来るべきだったような気がしたので寄ってみる。
知ったつもりでいた歴史は奥深く、唖然とする。
受付のかたといろいろ話し「来年、札幌から移住して来る」と伝えるととても喜んでくれ詳しく案内してくれ、本来は日曜日にだけ公開しているという貴重な収蔵品が多数保管されている収蔵庫も案内してくれた。
知りたかった、アイヌとの関わり、養蚕事業のことも知る事が出来た。
満足していよいよ帰ろうとしたが
先程聞いた、アイヌのコタンがあった場所にあるという「アイヌの碑」に行かねばならないような気がして(いや、「また今度でもいいべ」と思ったのだけど「いつもどんなことでも次でいいというものは無い」と雪様に怒られた)向かった。
アイヌのコタンがあったという場所は「ワッカウェンペッ」(悪い水の川という意味)川のそば。
アイヌが魚も獲れない、飲み水にも使えない川のそばで暮らすとは思えない。
『十津川移民に際し、アイヌはウシスベツに設定されたアイヌ地32区画26戸が強制的に集められた。しかし漁猟に従事して開墾する者は少なく、それにつけこんだ和人によって給与地はたちまち彼らの手に渡った。そこでワッカウエンベツにアイヌ給与地が設定され24戸が入地したが、現在は全くの荒野である。』
これは記念館に展示してあった文章。
文献が全て真実でもないし、見る角度で現実などいくらでもどうとでも取れる。
ともあれ
原住の民が居た場所に入り込んでいったことは間違い無い。
石狩川を渡って屯田兵と開拓民が、この土地に入って来た。
そして石狩川を渡って、アイヌがこの土地を出て行った。
記念館にあったアイヌコタンの区画図を見ると、石狩アイヌの姓がたくさんあった。
石狩アイヌ(主に現在札幌に住んでいるアイヌ)は新十津川から流れて来た、あるいは逆だとも聞いた事がある。
碑に、お詫びと祈りを捧げる。
わたしが新十津川に来る意味は…
全てが終わって車に戻ったら、堰を切ったように雨が降り出した。
浄化のお手伝いが少しでも出来れば…
わたしがアイヌに関わることは「贖罪」という言葉が一番しっくり来る。
いつも
「悪かった、申し訳なかった、あのときにあんなにお世話になったのに、今、出来る限りの事をするから許して欲しい」
そういう想いでいる。
わたしが今のわたしになる前に、何かがあったのかもしれない。
裏切ってしまったのか殺してしまったのか。
帰路の途中、死にそうに眠くなって車で仮眠した(わたしには珍しい)
帰って来ても、眠くて眠くてすぐ横になった。
起きたら、知人から「近くの川に桑の木を植えて欲しい」とのメッセージ…
なんだろう
何かが開いたのか繋がったのが始まったのか
今も、まだ頭がぼおーっとしている。
いろいろ想いが巡るけど
とりあえず備忘録として記します。
ーーーーーーー引用ここまで
何故、新十津川なのか?
日高で暮らしたいと思っていたわたしたちが、何故、行った事も無い新十津川町で暮らすことになったのか?
ずっと不思議だった。
アイヌの慰霊をするため…?
新十津川でやることがあるから、呼ばれたとしか思えない。
事実、新十津川の件があってから、やたらとアイヌの行事に参加する機会が増えた。
以前からも積極的に参加するようにはしていたけれど
それにしても、というくらい予定の殆どがアイヌと関わる、しかも各地でのカムイノミ、という日々になった。
「(NPO法人)ハチドリさんって、あの、アイヌの。」とか「雪ちゃん、もうアイヌとして生きたら」と人に言われるほどだった。
中でも印象的だった出来事は、二風谷でのアイノモシリ一万年祭と
岩手と紋別でのカムイノミ。
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「ニシキトベ」という人物のことを知ったのは、一万年祭でアシリレラさんに「新十津川に引っ越す」という話をした時だった。
「新十津川ぁ!?なんで!?」と聞かれ
「いやぁ、自分でもわからないんだけど、そういうことになって…」
そこから十津川村の話になり、熊野の話になり、
「ニシキトベという女酋長が居た」という話になった。
女酋長のことは、北海道各地にも居たとか慰霊をしているとか話は聞いていたけど
何故かこの「ニシキトベ」というワードにわたしのセンサーは反応した。
レラさんからも「熊野に行くことがあれば墓参りをして来て欲しい」とお願いされた。
祭りから帰ってすぐにニシキトベの事を調べた。
おそらく、一般的な認識は
『日本書紀における神武天皇の東征の折の記述に登場する人物で、登場してすぐに神武に殺されてしまう土豪の女酋長』なのだろうか。
古事記では「土蜘蛛」と蔑称で書かれているそうな。
こういう場合
『 国家が形成されていない時代、移動してきた国家権力者が先住民族を討伐する』話は権力者が正しく、土地の者は極悪人とされている場合が多いが、必ず裏が隠されている。
それは、全国で行われて来たことなのだ。
ニシキトベも、神と交信するシャーマンでありだからこそ術を使えたのだろうし、権力者はそれを恐れたのだと思う。
そんな事をぼんやり思っていると、まさに「そう、そうじゃないの!?」と思える記事を発見。
※追記 わたしが読んだときはもっとあったけど、書籍化されたので途中までになってしまったようです
これはみなさんに是非呼んでもらいたい。
あくまでもフィクションとしてだけれど、わたしとシンパシーが合うかたは、必ず面白い!と思えるはず。
ニシキトベ。
彼女のことは、ここから頭から離れず意識していくことになる。
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ちなみに、今、改めて調べたら
『若狭湾の鵜ノ瀬から(産まれた鵜の卵が)京都、奈良、天川村、十津川村、熊野の山熊野三所大神社(全ての祀られている神)を経由して瀬織津姫の坐る 古座川の一枚岩へ…北の日本海と南の太平洋を繋ぐ』な〜んてことが書いてある記事がありました。こちらも興味深い。
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岩手のオーガニックフェスタに行こうと思ったのは
アシリレラさんのユーカラと
喜納昌吉 & チャンプルーズと
まーぼーとふっちゃんのまったり〜ずのライブがいっぺんに観られる!から。
理由はそれだけだったのだけれど、その前後の行程も、わたしにとっては大きな体験だった。
カムイノミの詳しい場所や様子は控えるけれど
ニシキトベと同じく国家権力と戦って惨殺された、岩手の豪族、阿弖流為(アテルイ)と母礼(モレ)の供養。
「阿弖流為達強い豪族が大和侵略軍から長い間戦い続けてきたから、その間に数名のアイヌが北海道へ逃げ延びることが出来た。
1200年経った今もアイヌとして生き続けていられるのはそのおかげ。」
レラさんが以前行ったカムイノミでそう語ったそうだ。
途中で立ち寄った樺山遺跡での景色。
この地に立ったとき、一瞬で平和に豊かに暮らしている人々の姿がありありと見えた。
「これ!わたしが愛しているのは、目指しているのは、この空気感!」
村の下にはストーンサークル。
こんなに「受け入れてくれる」ストーンサークルは初めてだった。
ここの景色を眺めながら、空に天にむかい
わたしの理想のイメージであること、こういう村を創りたい!とお願い&宣言した。
そして、盛岡でのチャンプルーズのライブでのこと。
途中で昌吉さんが客席にむかって「ステージに上がれ!」と呼び込んだ。
わたしもステージ横のスペースに上がり、共に歌い、踊った。
すぐ横で『花』。
岩手山を眺めながら
泣きなさい
笑いなさい
いつの日かいつの日か
花を咲かそうよ
と叫んでいたら
「そうだ これでいいんだ
いっぱい泣いて いっぱい笑って
そのために、その体験をするために
この肉体を持ってこの地球に降り立ったんじゃないか。
これで、いいんだ〜〜〜〜〜〜!!
いっぱい泣こう、いっぱい笑おう!!」
意識が空に昇って行った。
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そしてその後すぐ紋別へ。
北大に保管されていたアイヌの遺骨が戻って来るということで行われたカムイノミとイチャルパ。
藻岩山でのインカルウシペカムイノミに参列してくださった畠山さんが主催するということで、お返しという訳ではないが、料理と接待のお手伝いに伺った。
一泊して、翌日
散歩がてら紋別の海を一望出来る橋に行った。
海を眺めながら
紋別のアイヌの霊が癒されることを祈り
またこの北海道という土地が平和で豊かな土地になるよう祈った。
すると
『平和は祈るものではない。創るものだ。』との言葉がおりてきた。
ハッとして
『そうです!創ります。わたしが、平和な世を創ります!』と
今度は『創りたい』ではなく『創ります』と宣言した。
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わたしが、新十津川でやろうとしているのは、そういうことなんだろうか…?
行く場所行く場所で
今まで想像もしていなかった想いが溢れ
ひとつの道になっていくような。
ただ、あの新十津川の土地で、自然と共にわたしたちふたりと犬だけが、ゆるりと暮らす、だけでは無いような…
村を
コタンを
つくる?
平和で豊かで愛に満ちあふれていて
確かにその昔、そうして暮らしていた民がいて…
それを、取り戻そうと、している?
このわたしが?
いやいやいやいやいやいやいやいや
荷が重過ぎます!
わたしには無理です!!!!!!!!!!!!!
あぁぁぁ〜〜〜〜( ;´Д`)
でも宣言しちゃってんじゃん
なんかもうやることになってるっぽいじゃん
もう逃げられない感じじゃん
やだよー
責任重いのやだよー。・゜・(ノД`)・゜・。
他人なんか関係無く自由に好き勝手に生きたいよぅ〜〜〜(すでにしてるけどさ)
でも次々と溢れ出るコタンへのビジョン。
「そんなデカい事、出来ないっすよ」
と
「よーしやってみせるぞ!」
が入り交じりながら
さらに、また、話は進むのであった。。。。
つづく。