あ し あ と 。

生きてます。自由に。

旅に出る理由 その2

和歌山になにかあるだろうか

 

それがひとつの旅に出る理由になった。

 

そして、わたしのなかでもうひとつ

ーこれは見つけるというより、確信にしていく作業ー

夫とわたしの関係性をはっきりさせたい、というものがあった。

 

 

 

 

わたしが夫と結婚して

人生がまるきり変わってしまったけれど

夫もまた、大きく変化している。

 

 

 

サラリーマンをやめて経営者になったという目に見える外側の変化もだけれど

中身、、、というか考え方、価値観もずいぶん変わった。

元々頭の柔らかいひとではあったけど、より自由により本質に近づいていった。

 

 

 

 

 

 

 

周りのひとに「夫婦でやりたいことが同じで良いわね」と良く言われる。

 

もともと出逢ったのが農業サークルで

部長(夫)副部長(わたし)という関係性で居たので、「同じ目的にむけてふたりで協力しあう」というのはとても自然なこと。

 

夫婦として、その「目的」が同じかどうかはまた別なのだが

それも数年かけてお互いの価値観が合ってきて、自然と同じ目的になっていったように思う。

 

 

この価値観が合うまでの数年それはもう壮絶にバトルすることもあった。

特に会社を退職するときは「そう簡単には辞められない」という夫ととっくみあいの喧嘩もした。

わたしはわたしで、夫の持つ「一般常識」「世間的価値観」を壊さなければ先は無い、そのタイムリミットはもう近い、そう思っていたので必死だった。

 

 

 

夫を変化させるためにわたしがやらされることも多くあった。

不食」に目覚めたのはそれの最たるものだと思う。

なんせ「家族を食わせるために働く」という、夫の仕事をする理由を全否定してしまったのだから。

完全オフグリッドでは無いけれどそれほどライフラインにも頼っていない我が家は、水道光熱費もずいぶん抑えられているし、

これで食費がひとりぶん減れば現金収入はそれほど必要ないでしょう、だからそんなに頑張って働く必要無いでしょう、というわけだ。

もちろんそういう意図で不食生活を始めたわけではないけど

結果的に説得材料になったのは間違いない。

 

 

 

 

 

そう、他にも

わたしが原因で夫が結果、ということはたくさんある。

 

そしてそこがわたしがハッキリさせたい関係性なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

夫に「雪ちゃんは火付け盗賊だ」と言われたのは結婚して2年目くらいだろうか。

 

なんでもわたしが言い出しっぺで、火をおこしておいて

その後は「あとはよろしく〜☆」と夫に任せる事案が続いたからだ。

夫はわたしの尻拭いをさせられている、という気持ちになったのだろう。

まぁ、実際、わたしはわたしのやりたいことしか出来ず

苦手なところは「だって出来ないんだもん」と開き直っていたので

そう感じるのは仕方ない。

 

しかし

この、わたしが言い出しっぺ(原因)で夫が実際行う(結果)という関係性こそがわたしたちそのものなんじゃないの?

 

 

だんだん、そう思うようになっていった。

 

 

 

 

 

 

夫が会社を立ち上げてしばらくしたころ

自分が自営だったころ良く通った神社に呼ばれたことがあった。

 

たまたま通りがかっただけだったのだけど、呼ばれた氣がしたので久々に立ち寄った。

 

「そうだよな…あのころはずいぶんお世話になったのに、今回(会社を起す)というタイミングで挨拶に来ないのはイカンですよね…」

手を合わせると

神様は少し呆れたように「やっと来たか…近々サトシ(夫)も来るように」

そして

「今はまだ、まずおまえ(わたしのこと)がわたし(神様)の意図を汲み取ることが必要なんだから、ちゃんとしてやれ」的なことを言われた。

 

今はまだ、ということはいずれ夫が直接汲み取ることができるようになるのだな、と思ったけれど

とりあえずそれまではわたしはその(夫と神様の)間に立つ役割としてしっかりしなければいけないようだ。

 

 

わたしが受け取って、夫が実際に使う。

 

 

ここも、原因がわたしで結果が夫であることが伺える。

 

 

 

 

 

 

夫が経営者になってからは特にその関係性が重要だと思えるようになった。

 

 

 

今、夫が力をいれている「ブッシュクラフト」も「自伐型林業」もわたしが情報を見つけて夫に知らせたものだ。

お世話になっているアイヌのポンペさんやレラさんもわたしが縁をつないだ。

大麻関係の縁も、未だに深く大切なものになっている。

わたしがきっかけを作って、それを活用した夫に、夫の仕事に繋がっている。

 

誤解をしないでいただきたいが

わたしのほうがエライとか、恩をきせるつもりなんて毛頭ない。

尻拭いと思うか、活用と思うか。

単純に、その関係性に、男の役割と女の役割というものに興味があるのだ。

 

 

 

 

 

 

そして

ニシキトベがキッカケになって理解を深めていった

母系社会、女神の復活、ヒメとヒコ。

 

女性が中心となり、神と繋がり

男性がそれを受け取り、執政していく。

 

それぞれの役割。それぞれの仕事。

どちらが上でも下でもなく

お互いを支え合い埋め合いムラをクニをつくっていく。

 

わたしたちの新十津川の「シピラサコタン」(アイヌ語で「本当に・広げていく・ムラという意)も

そんなふうに作っていくのではないだろうか…

 

 

旅で、その関係性を確信にしていきたい。

ヒメとヒコの土地に立ったら、

それを『実感』『体感』できるのではないか…

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

旅日記に続きます。

 

 

まずはフルムーン旅行記から。