チセを建てる〜その五 柱を立てる
材が新十津川のシピラサコタンに到着しましたので、いよいよ「建てる」作業に入ります。
が
今回はNPO法人ハチドリで『チセを建てるWS』がありますので、行き当たりばったりというわけにもいきません。
ちゃんと作業が行えるかどうか、まずは試してみます。
ここに〜!
まぁ〜簡単に書いてますが他にも細かい作業もあったり
エカシふたりはチセ建設経験者とはいえ、この土地この柱この夫婦は初めてなわけで
試行錯誤しながら、柱一本立てるのに数時間。
これは、、、、
WSに何人集まるかわからないけれどどこまでいけるのだろうか。。
「まぁ、全員で柱一本立てられれば良いでしょう!」という
ゆるい目標にして
WS当日、参加者さまほぼ遅刻wwwという中
集まってくださったみなさまと
午前中は民営研(民族文化映像研究所)の映像『チセアカラ〜われらいえをたてる』を鑑賞。
※クリックすると予告映像を見る事が出来ます
アイヌとして初の国会議員にもなった、萱野茂さんのチセ建設ドキュメンタリー。
建築法だけではなく、意味や想いも解説がありとても勉強になりました!
余談ですが「奥会津の木地師」というDVDも勉強のため一緒に借りたのですが
んまーーーーーーーーーーーとにかく吃驚。
チセとはまた別ですが「山の中でそこにあるもので小屋を建てる」という内容としては素晴らしいものでした。
小屋を建てるだけではなく、沢から水を家の中まで引く作業もありました。
こちらもクリックすると少しだけ見る事が出来ますので是非!!
チセの構造模型。
これから
こんだけ
柱を立てたり梁を上げたり…するのか…
現在やっと一本立てたばかり…
屋根とか…いつになるの…
とビビってられません。
とにかく、やり続けるしかないのだ。
昼食を取って、14時開始のカムイノミの準備に入ります。
カムイノミのときに男性が着用する「サパンペ」、
こーゆーやつね
これを、祭司であるポンペさんが忘れた!と言い出してどーすんねん!と思っていたら
「おれ、ちょっと川行ってサパンペ採ってくるわ〜」と川にスタスタ。
え、、、、
サパンペって、、、そこらへんに生えてるもんじゃないっすよね???
川から柳の枝を切ってきて、細工してあっという間に出来上がった。。。
しかも、イクパスイまで…
さすがである。
こういう『自分で使う物を自分で、そこにあるもので作る』
姿勢と技術もしっかり受け継いで行きたいものである。
さて、それぞれの準備。
わたくしは酒や供物などを用意。
左のニマ(皿)には、トゥレプ(オオウバユリ)団子、ネシコ(クルミ)、ベカンペ(菱の実)
右は米と雑穀、塩、コンブ、焼き鮭、そうめん、煙草、シケレペ(キハダの実)
お酒は盛岡のエサシふっちゃんが、わざわざ自作のトノト(どぶろくですね)を送ってくれました!!
なんと尊い、なんとありがたい。
カムイも大喜びなことでしょう。
夫は、幣場になる場所に居たリンゴの木が虫にやられてお亡くなりになっていたので
それをカムイノミ前に伐って、慰霊をすることに。
去年は実をつけていたのに、、、
あっという間にやられてしまった。
今までありがとうね。
中川エカシは祭壇の用意。美しいイナウだなぁ〜ほれぼれ。
参加者の皆さんは葡萄蔓の皮むき。
準備が整い
カムイノミ開始です
この日は滝川のフリーライターの方が取材に来られて
いつもだったら(当事者なので)撮れない写真も撮っていただけました。
「記録として残さないのはもったいない」と、今後も来ていただけるようで大変ありがたいです。
ここに座っている人でアイヌなのはポンペさんだけです。
しかも、札幌から来ていただきました。
自分なりに調べ尽くしましたが、現在新十津川町にはアイヌは居住していません。
(もし居たらごめんなさい!)
新十津川出身の(ここのコタンから流れて行った)アイヌは札幌に数名いたようですが、その方たちも既に亡くなっています。
生前、いろいろ教えてくれた鎌倉圭子さんもそのひとりですが
その頃は我々もまさか新十津川に移住することになるとは思いもしておらず…
もっといろいろ、新十津川のことも聞いておきたかった…
でも、そこまでご縁があったのですから
きっと天から、いまのわたしたちに、生前とは違うかたちでいろいろ教えてくれるでしょう!
この土地に存在した、すべての者たちへ慰霊。
参加者さんも神妙な面持ち。
今、この場に皆さんが居ることも、必然であり意味のあることなのです。
お気に入りの一枚(Facebookのプロフ画像にしちゃったー)
いろいろ想いが込みあげて、胸がいっぱいだったのです。
新十津川という地名がつく前
ここら一帯には、石狩川に沿ってたくさんの小さなコタンがあった。
今年は北海道と命名されて150年という節目の年。
その年に和人であるわたしたちがチセを建てる。
わたしは左翼主義でもないし、北海道を愛しているけれど
ただ記念だ記念だと浮かれていないで
誰のものでもなかった『アイヌモシリ』(人間の大地)が
日本の領土として日本人のものとなっていった
この150年間、何があったのか、忘れてはならないと思うのです。
儀式の最後に、一番若い者が供物をカムイに捧げる。
この役が、新十津川町生まれの米農家である高山さんだった、
これも大切なことのように思います。
儀式が終わったら、イナウをチセの幣場になるところへ移動。
この幣場はチセにとって一番大切な場所になります。
チセが建ったら、通常は幣の前は通れません。
さぁッッ!!!!
いよいよ作業に入りますよーーーーー!!
まずは整地です。
ポンペさんが丸太から作ってくれた道具(なんというのだろう)で、どっすん、どっすん!平らに均していきますよー。
簡単そうですが、これ、かなり重いです。わたしはポンペさんが使っている小さいのでも持ち上げられなかった!
どっすん、どっすん
梅吉も「な、なにやってんの!?」と走って見に来ました(笑
まぁ、これは本気でこれで整地をするというよりは「こういうこともやってました」という伝統的作業、ということで。
建設予定地をぐるりと一周して終了。
それぞれ、出来る作業を行って行きますよ。
どりゃどりゃどりゃーーーーーーー!!
聡くんはこの二日間でチェーンソーを握っていない時間があったのでしょうか?というくらいひたすら木の加工。
柱の長さになったものから根元を焼いていきます。
さぁ、柱を立てるための穴掘りだっっ!!
いろいろ試した結果、
まずドリルで土を柔らかく砕いたあと
それをスコップで取り出す、という作業が効率が良いようでした。
「一応、伝統に則って貝殻でも掘りますが、その後はスコップを使います」と告知していたものの、わたし的には重いスコップよりも貝殻(今回はホタテ)のほうがよっぽど使い勝手が良く、最後まで貝殻で掘ってました。
貝殻万歳!!昔の智慧万歳!!
掘った穴には石を詰めます。
最初は小さな砂利、後に大きめの石。
それをボッコで突く!!!!
ドリルで、スコップで、貝殻でそれぞれ穴を掘る。
柱を移動する、炎を絶やさないようにする。
それぞれが、出来る事を進めます。
そうこうしてるうちに
穴が掘れて、柱も程よく焼けましたので
そしていよいよ一本目、東北の柱を立てます!!(柱を立てる順番があるのです)
それ〜〜〜〜っっっっ!!!!
あれ?
さすがに、練習した&男手がたくさんあったので、意外にすんなり立っちゃいましてw
そ〜れそ〜れ
ひょいひょい
あっという間に4本立っちゃいました!!
心配していただけに、拍子抜け〜〜〜(^^:)
「一本立てばいい」そう思っていたのに、4本無事立った〜!
素晴らしい!!
みなさま、ありがとうございました!!
柱が立つと、一気に「家が建つ」感が出ますわね。
ワクワクする〜〜♡ ヽ(*´∀`*)ノ
さぁ、このあとは「明日も頑張るチーム」で宴会です。
本当は温泉行って、からの予定が
わたしがビールと肉を買って帰って来たのを見た全員(わたしも)が
「温泉いいから、とっととビール呑みたい」モードになりまして(笑
とっとと宴会に突入。
止まらない酒とおしゃべり。
さっさと寝りゃいいのにねぇ。
この時間があるから、労働の疲れも吹っ飛ぶんだよなぁ。止められないよなぁ。
室内に移ってもまだまだ終わらない宴(いいかげんにしろ)
そうして夜はふけていくのでした…
つづく