50歳になりました。
もう一ヶ月以上経ってしまったけど齢50になりました。
50歳かぁ。
全然ピンと来ないなぁ。
年齢なんてただの記号だよなぁ。
とはいえ半世紀を【このわたしが!】生き抜いてきたという事実は素晴らしいことだとは思う。
長生き出来ないと言われ病院通いだった幼少期から
ガラスの10代
ナイフみたいに尖っていた20代
死ねないから生きていただけの30代
やっと自分を見つけた40代
前科もつかず
五体満足のまま
50年間、よく生きてきたよ。
死にたいからめちゃくちゃに生きてきたのに
今こうして幸せでいられるのは
絶対的に守られていたんだなぁと、つくづく思う。
わたしはいま、なにひとつ不満も無く
平和に生きているので
いつ死んでもいい
というか生まれたときから「早く帰りたい」(肉体を脱ぎたい)とずーーーーっと思っているのでできればとっとと死にたい。
でも
今まだ肉体を持って生きているということは
何かしらやることが残っているからなのだろうから
それを全うするまでは頑張るしかない。
どうせなら楽しむしかないし。
以前の投稿
でも書いたけれど
わたしがずっと闘ってきた相手がわかったこと
わたしは間違っていなかったこと
そして
わたしのようなはみ出しものがこれからの世界をつくるんだということ
こんな場面に時代に居合わせられるなんて、なんて面白くてエキサイティングなんだろう!
ここから変わっていく世界を見るために、今までがんばってきたし
ここから楽しんでいけるんだよね。
シピラサトベとして
いろんなものをつなげていくよ。
さて象徴的なものはここまで。
個人的に
これからどういうばーさんになっていくか、どういう方向性でいくのか、が今の課題で
2大憧れとしては
夏木マリのようなクールソリッド系BBA
京塚昌子のようなThe日本のばあちゃん
しかし
憧れはあくまでも憧れであって
残念ながらわたしはどちらにも当てはまらない。
ルックス的にも、キャラ的にも。
どちらかというと
この路線が近いかもしれないな…
ファッション雑誌「オリーブ」を読んでいた中学生の頃(オリーブ少女だったわけではない)
それこそ50代くらいの女性デザイナーが
ショートボブでメイクは眉とアイラインのみ、白いカッターシャツにジーンズというスタイルで載っていて
「かっこいい!将来こうなりたい!」と思った記憶がある。
そして
30代で畑を始めたときに自然農の本か雑誌の特集かで
ショートカットですっぴんで顔中ソバカスだらけでまるで少年のようで
でも最高の満面の笑みの農家の女性の写真を見たときに
「あぁ、こうでありたい」と思った。
大島弓子の漫画に「青い・固い・渋い」というストーリーがある。
田舎暮らしの中のユートピアを目指し、都会を捨て事実婚で暮らすカップルのおはなし。
あらすじは置いておいて
暮らし始めた田舎に、都会の友人たちが遊びに来る場面がある。
友人たちを見て主人公のちーちゃんは、嘆く。
「みんなすごくきれい
肌も手入れしてあって
その上にほんのりお粉のせて口紅つけて
指もすんなりして傷ひとつない」
「それにくらべてわたしは
太陽に焼かれた髪や肌
土で汚れたつめのまわり
なに この指
わたしの手はマメの木じゃないわよ」
「でも
男の中ではしーちゃんが一番かっこよくなってる」
この台詞は自分がこういう田舎暮らしをするずーーーーっと前から胸にささっている。
そして実際に自分が田舎暮らしをしだして、ちーちゃん(ヒロイン)と同じような立場になりこの台詞はさらに胸を刺す。
夫は無精髭で土まみれになってカッコよくなっていくのに
わたしはどうしてそうはならないんだろう?
いや、どうしてそう思えないんだろう?
まだまだどこかで「女は身ぎれいなほうが良い」とか、そうでありたいと思ってるんだろうな。
まぁ、そういうのを行き来していくのも面白いだろうな。
夏は土まみれ冬は雪まみれになって
野良着しか着ないような
髪も肌も気にしない素朴な生活のなか
たまに
ばっちりお化粧して粋な着物なんぞ着て美味しい酒を呑みにでかける
両方を楽しみ続ける
どこまでも自由なばーちゃんになるぞ!!