食じゃなくていい!魂の栄養を摂る。【その三 祈り/感謝】
祈り、といっても
「食べなくてもお腹が空きませんよーに!!」とか祈るわけじゃないですよ。
言っとくけど!
人は
祈るとき
どこに意識をむけているのだろう?
特定の信仰があるわけでは無い場合
漠然と「かみさまーーーーー!」なのではないだろうか。
しかも、その場合の神様は「どこか遠い外に居る神様」だろう。
何度も言ってるとおり神様は外には居ない。
とはいえ、わたし自身も神社で、神棚の前で、神様と対峙する。
それはわたしの美しい神様と元は同じなのだけれど
名前とエネルギーを持った「存在」に対して、祈る。感謝する。伝える。
神の前ではどんなに繕って美しいことを祈ったり伝えたりしても無駄。
本心は隠したってわかってしまう。
だからわたしは神様の前に立つ時
「わたしを見て下さい。
ありのままのわたしは、神様の仕事をするにふさわしいでしょうか?
あなたが、わたしの身体を使ってこの世のために働くに値するでしょうか?
どうか、わたしがあなたの仕事をできますよう。
できる人間であれますよう。成長できますよう。」
そして、いつも見守っていただいている感謝を伝える。
(このとおり文章を頭で読み上げているわけではなく、このような旨を一瞬の想念で送るだけです。それだけで伝わります)
毎朝の神棚へのご挨拶でも同じで
神棚の神様はいつも「よしよし」的な、胸があたたかくなる波動を送って下さるのだけど
不食を始めてから、別のものも送って下さるようになった。
なんというか…元氣玉、というかエネルギー弾というか…
胃〜肚に「パワーの源」みたいな塊を入れて下さる。
ドスンと来るそれに、わたしはいつも衝撃を受け、深呼吸しながらの最後の一礼、「ありがとうございました!」になる。
これをいただけりゃー、ごはん要らないよねぇ(笑
そして感謝、それは循環。
ありがとうはありがとうを呼ぶ。
不食生活をしてから、性格というか普段の精神状態が非常に穏やかになった気がする。
いや、元々がかなり激しい気性なので普通になった、程度だろうか…(ドキドキ)
なので、イライラしたり怒ることがあまり無くなった。
元々他人に興味が無いわたしは、人がナニしようとどーでも良いのだが
やはり一番身近な夫にはそうも言っていられない。
不食によりチビ雪との繋がりも強化されているので、チビ雪が怒ったときはそのまま出る。
夫に対して怒る時、「え、今そこで怒るの」みたいな時もあって
「あぁ、これはチビ雪が怒ってるんだな」と思う。
(責任逃れじゃないぞw)
わたし雪子が怒るのは例えば「ちゃんと片付けない」とか「約束事を忘れてた」とか
「表面上のちゃんとしてないこと」だったりするが
チビ雪が出て来て怒るときは「本質を間違っている」とき。
そもそもの捉え方を間違って行動しているとき、チビ雪大激怒。
それは、わたしも怒られるからわかるんだけど…(こわいんだよ!( ;´Д`))
話がそれました。
気分が穏やかだと、周りの景色もとても穏やかに美しく見える。
なにもかもが愛おしい。
全てにほおずりしたい。
目の前の愛犬やお花たちはもちろん、
テーブルの上のポットや乾かしてある手袋や外で待機している愛車など
「もーーーーーーーー、あんたたちが居てくれて本当に嬉しい!ありがとう!!!!」
と、これは思わず声に出してしまうこともある。
そのとき、必ず返って来る。
「ありがとーぼくらも雪子が好きだよー」と。
ありがとう、好きだよ。
これの循環。
それがわたしの栄養になる。
愛犬も、わたしも、ポットも手袋も
みんなひとつの「愛」で出来ている。
その愛で出来ているみんなでちゃんと循環出来てたら、もう、それでいいじゃないか!
ま、それもいつも出来てるわけじゃないんだけど…(´Д` )
無意識に過ごしているほうがまだ圧倒的に多い。
出来るようになったら、ほんとうに食べなくても良いだろうね。
あ、、、、ちなみに。
この【その三】に、『瞑想』も入れようか迷ったのだけど
入れませんでした。
最近、瞑想しないというか出来なくなりました。
多分、しなくても良いんじゃないかなーと。
普段から繋がっていれば、あえて「繋がる時間」を作らなくても大丈夫なのじゃないかしら。
わたしが「いつも繋がっているひと」なわけでは無いけれど
不食前の、瞑想して意識的に繋がっていたときよりは
繋がりやすくなっている気はする。
でも、瞑想もとても有意義かつ効果的なのでオススメはします。