あ し あ と 。

生きてます。自由に。

ゆだねきる旅、その後〜その四

 

 

出来ないときは、どんなに頑張っても、死ぬほど努力しても出来ない、叶わない。

なのに

「その時」が来たら、あっという間に出来たり叶ったりする。

 

しかも「え、そっちから?」「なんで今」みたいな

思いもよらない、想定外のことが起こって全て上手く行ってしまったりする。

 

 

 

 

 

或は

 

 

こっちの路を選んで懸命に進んでいたはずなのに、気がつけばこっちに居た。

 

これがわたしの生きる道と思っていた事全く違う道に進まされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分に対しても、周りに対しても言えるのは

 

「こればかりは仕方ない」。

 

 

すべては天の采配と、タイミング。

 

自分のチカラで自分の思い通りになんてならない。

 

ちゃんと、やるべきことがやるべきタイミングで用意されているのだから、お任せるしかない。

例え、いま周りから認められなくても。

 

 

 

そう、それが、「ゆだねきる」

 

 

 

 

 

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今思えば、猫が我が家に来る事になったのも、大きなきっかけだった。

(『猫騒動』は改めて別記事で書きます)

 

 

レラさんのカムイノミで出逢って、滝行を教えてくれたり、一緒に岩手に行ったりしたまりちゃん。

二風谷でのカムイノミからの帰り、「友達が、誰か要らないかな?って写真送って来た」と

キャットタワーの画像を見せてくれた。

 

「わ!実は、わたし、猫もらうことになってるんだ〜!」

「え」

 

新十津川のるみこさんは保護猫活動もしていて、わたしがもらう予定の猫が産んだ子猫の里親を捜している、と伝えると

 

「…実は…」

 

家族のために猫を飼いたいと密かに思っていたそうで

「じゃあ、一緒に子猫見に行こう!」となった。

 

そうして、まりちゃんが新十津川に来る事になった。

(こんなことでも無ければすぐに新十津川に来てもらうことは無かっただろう)

 

 

わたしは、あのアイヌの碑がどうしても気になったので

子猫とのお見合いのとき「一度見て欲しい」とお願いした。

 

まりちゃんもレラさんと同じく「わかるひと」だから。

 

 

 

「ここでカムイノミをしたほうがいい」とまりちゃんは言った。

碑の前ではなく、川の近くの木の前で。

「ここに居る霊たちを(天に)あげなくては」と。

 

 

「レラさんに来てもらおう。その前に、聡くん(夫)とまたここに来れるようなら、お酒をあげてちゃんと挨拶して」と言われた。

 

 

 

 

 

 

その後、これも必要だよね、と言っていた

月形刑務所の近くの、囚人のお墓でカムイノミ。

 

このあたり、いや北海道の幹線道路は、アイヌや、囚人や、強制連行された朝鮮人中国人等が過酷な労働条件で作っていった道路だ。

 

参照:

開拓の基盤を作った囚人道路/月形町

監獄秘話 囚人が開いた土地 | 博物館 網走監獄

 

死んじゃってもいーし

死んじゃったらそのへんに埋めればいーし

トンネルなんか人柱になってちょーどいーし

 

くらい、「人として扱われなかった人達」の犠牲のもとで出来ているのだ。

 

 

今までのわたしは

 

なんとなく知っているようでそれほど興味も無かった。

 

いま、この時期に、こういう事実と向き合って

慰霊鎮魂の場を共にすること

土地のクリーニングにも繋がること

 

 

必要なんだろうな…

 

 

 

 

 

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夫と新十津川に行く日が来たので、今度こそカムイノミの準備万端で(ちゃんと出来るかどうかは別として)向かった。

 

夫もこの碑の場所に来るのは初めてだったのだけど

「…凄く、氣が嫌な感じがするね」。

 

 

手探りながらもカムイノミ。

 

終わりかけたとき、ふたりの目の前にオオスズメバチが一匹、やって来た。

「ヤバい!!」

一瞬焦ったけれど、振り払ったりしては逆効果なのでジッとする。

 

まるで、品定めするかのようにわたしたちの周りをブンブンと飛ぶオオスズメバチ

 

わたしたちに悪意はありません、と伝え、黙って品定めしてもらう。

 

しばらくして、スッと去って行った。

 

認めてはもらえなくても「なんか、こうゆうやつ来たでー」と仲間に知らせてくれただろうか。。。。

 

 

 

 

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夫とこの地でカムイノミをする。

 これだけでも、ずいぶん気持ちが落ち着いた。

 

 

 

 

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「雪ちゃんの(NPO法人)ハチドリさんでアイヌ刺繍講座をやりましょう!」

レラさんにそう言ってくれたのも、まりちゃんだった。

 

 

わたしはどんなカタチでもいいからレラさんを札幌に呼びたくて、ずっとラブコールを送っていたのだけど、なかなか叶わず数年経ってしまった。

なのに、このまりちゃんの一言でレラさんがその場でOKを出し、一瞬で開催が決まった。

 

もちろん、まりちゃん自身刺繍を習いたいこともあったのだけど

刺繍講座をやれば、少しはレラさんの収入になる。

そして、札幌から新十津川に同行してもらって、カムイノミしてもらえる。

そういう想いで頼んでくれて、実現した。

 

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刺繍講座は募集開始2時間で満員御礼になり、無事終わった。

 

我が家に泊まったレラさんは翌朝こう言った。

 

「昨夜、枕元に誰か現れた。『ここの住人はアイヌのことを一生懸命やってるから、黙って応援しろ』と言ったらスーッと壁を抜けて、公園の木の下に消えていったよ。」

 

にゅーん( ;´Д`)

普段だったらめっちゃコワイ話(わたしは幽霊とかマジダメです。人外担当なので。)だけど、レラさんがなんかしてくれたなら、、、いいか、、、、、、。

 

 

 

 

そして、レラさんと、まりちゃんと、わたしで(聡も猛烈に来たがっていたけど仕事で叶わず)新十津川へ。

 

実は、碑の前に、公園の中にある沼地も気になったので

先にそこに寄って見てもらう。

 

 

「ここには沢山のひとが沈んで(埋まって)いる」とのことで

ここでも急遽カムイノミ。

  

「もういいから、天にあがって行きなさい」

 レラさんが語りかけていく。


さぁっと風が吹いて、波紋がわたちたちの立っていた場所に集まって来た。
泣きそうだった空が、一瞬、晴れた。

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そして、碑のある場所でカムイノミ。

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沼地で綺麗に晴れていた空が

ここに入った途端、急に土砂降りに…

 

「泣いてる…思う存分、泣けばいい」とレラさん。

 

 

開拓の民が入って来て、強制的に与えられた土地。

それまでの暮らしを否定され追いやられていったアイヌ

 

 

 

 

 

 

歴史を語るのは、難しい。

語る角度でどうにでも取れるから。

 

 

 

 

アイヌ=善

開拓民=悪

 

などひとことでは語れない。

 

 

 

 

 

ただ、ここに移り住んだ、アイヌの民たちに、意識を合わせる…

 

悔しかった?

辛かった?

悲しかった?

 

楽しいことも、あった??

 

 

 

 

 

わたしは

 

クリーニングのことばでもある

 

ありがとう

許してね

ごめんね

愛してるよ

 

を伝えつづける。

 

 

 

あなたたちが

明るく平和に豊かに暮らしていたコタンを、またこの地でつくるから。

 

 

 

 

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 土砂降りが続く中

 

 るみこさんから、わたしたちに管理人が代わった、

この土地でもカムイノミ。

 

 

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何故かわからない、何かわからないけれど

胸にこみ上げるものがあって

るみこさんもわたしも「良かった、本当に良かったね」と手を握り合って泣いた。

 

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 終わって、母屋で休んでいるとみるみる光が射して来た。

 

 

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土砂降りが嘘のような眩しさ。

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いろいろホッとして、

 

レラさんを送りに二風谷へ向かう途中の空

 

写真にはおさまりきらない、ドラゴンたちが。

 

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そして、二風谷から札幌へ戻る途中の雲。

 

 

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そして、今回のことが終わってまた「次」が決まった。

 

 

 

 

なんと、新十津川のあの土地にアイヌの家、チセを建てることになったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

新十津川では今ある大きな母屋で暮らすつもりは無かった。

 

何も無い小さい暮らしをしたかったので、小屋を建てようか、ツリーハウスはどうだろう、といろいろ調べていた。

 

その中で冗談では言っていた

「チセ建てて住みたいなぁ」と。

 

 

 

 

 

でも、とても現実的ではない。

小屋やツリーハウスやログハウスなら、プロも居るしお願いすれば建ててもらうことも教えてもらうこともできる。

 

でも、チセは、、、、

 

 

 

「材料と人手さえなんとかなれば建てられる」

いつもお世話になっているアイヌのポンペさんとチセを建てた経験が豊富な中川さんはそう言ったけど

 

いや、その材料が、まず…

 

 

 

ダメもとで、某財団の事業で出来ないか相談してみたところ「かかる金額が大きいから申請が通るのは難しいかも」とのことだった。

 

 

ですよね。

ですよねー。

 

 

 

だからチセを建てる、というのは夢のまた夢だったのだ、この日までは。

 

 

 

 

 

レラさんにも、夢のような話として新十津川にチセを建てられたらなぁ、と言ったのだけどその返事は

「建てなさい!建てられるから!建てなさい!」だった。

 

「いや、材木も、茅も入手困難で…」

「うちの木を使って!」

 

は????????????

 

なんでも、レラさんの家の奥の林の木が大きくなりすぎて、隣接して建ったアパートの上にかかってしまい、苦情が来ているのだそうだ。

むしろ、木を伐ってくれる人がいないかと悩んでいたそうだ。

 

「あぁ!助かる!うちの木を伐ってチセに使ってくれるならそんな良い話はない!!」

とレラさんが何度も何度も言うので、遠慮とか恐縮とかする前に

『え、、、そうはいっても、、、無理じゃん』とか思う前に

 

「そうか、むしろ人助けになるのか。それなら使わせてもらおう」とスーッと話は決まってしまった。

 

「茅場も教えるから心配しなくていい。大丈夫、建てられる。」

「わたしだって、建てたんだから。そりゃあ頑張ったよ、ちっちゃい子供何人もトラックに乗せてひとりで茅刈りして運んだんだ。」

 

 

レラさんはその後会う度に励ましてくれた。

 

 

そして、本当にその通りに

不安になんかなっていられないほど

面白いように、それからも話は進んだ。

 

 

 

 

 

無理だと思ってた

夢のまた夢だったことが現実になる…

 

 

 

 

何かの後押しがあるとしか思えない

奇跡の連続。

 

 

 

 

 

 

「ゆだねきる旅 その後」はこれで終わります。

いよいよ、チセづくりが始まります!!