のんびりしている。
のんびりしている。
田舎に引っ越して来て5年。
初めてではないだろうか。こんなにゆっくり過ごしているのって。
忙しくしているつもりではなかったけれど
やっぱり心のどこかで「こんなのんびりしている場合じゃない」という焦燥感があったんだろうな。
チセという「やらなくちゃいけないこと」ももちろんだけど、
田舎に引っ越して来て自分的に「やりたいこと」がありすぎた。
やりたいことだから、全然苦じゃなかったし楽しんで進めていたはず。
でも、有り過ぎたんだな。あれもこれも、欲張り過ぎた。
少量多品種で畑をやりたい。紅花を育てて染め物をやりたい。野草を採って野草茶を作りたい。そこらの山菜や畑の野菜で保存食を作りたい。蜜源を沢山植えてミツバチを呼びたい。食べれられる実が成る木を植えたい。フィールドを広葉樹林にしたい。フィールドに水を出したい。草樹から糸を作りたい。木陰の休憩所を作りたい。太陽光温水器でお湯を作りたい。ベランダから出てピンネシリを眺められるテラスを作りたい。薪小屋を作りたい。
どれもこれも、ここに住んで望んで5年で少しずつ進めて来た。(水はまだ出ていないけど、いつでも出て良いように準備は済んでいる)
それに加えて突発的にパンやカレーやラーメン作りにハマってみたり。
去年からはてんかん持ちの猫の看病(てんかんの為に何が出来るか調べる)で時間が使われたり。
そしてこれら全ては「チセを建てる」が基本に有った上、で行われてきた。
今季の茅刈りが絶望的になった。
湿った重い雪が一気に全道に降り、立派な茅が立っていた茅場も、例年は雪が積もらない胆振地方の茅場も、全て雪の中。
残っている茅も折れたり曲がったりで使い物にはならない。
これはわたしの中では大きな出来事だった。
去年も同じように雪が一気に降り、ほぼ茅刈りは出来なかったのだけど、それまでに刈りためてきた茅が沢山あったし、まずは出来るところまでやってしまおう、という希望があった。
そして半年間、残った茅で屋根を葺き、あと一段で屋根が完成、ということろで茅が無くなった。いずれにしても最後の段を噴く為には足場が必要で、足場を組む為には床の造作を進めなければならない。
屋根はさておき、と夏から数ヶ月は床の造作を進めた。
シーズン入りして茅刈りも開始!
そして12月、足場が組めるまでの床が完成!
これで屋根が葺ける、壁もいける、
来年春にはチセ完成だ〜〜〜!!!!←テンション爆上がり
※茅さえ有れば(=゚ω゚)ノ
そこで、この茅場全滅。
もう、無い物は無い。進められない。完成させられない。
絶望した。
5年間頑張って頑張って、ようやく完成目前にして。
足元からすこーーーーーんっと崩された感じ。
しばらく絶望して、腑抜けのからになってしまった。
何かがプツンと切れたようで
もう、何もかもがどうでも良くなった。
なので何も考えず過ごすことにした。
どうせチセも出来ないんだし、と半ばヤケクソな気分だったのかもしれない。
やらねばならないことなんて無いんだ。
あれもこれも全部捨てると、見えてなかった、いや、見ようとしなかったあれこれが見え始めた。
やらねばならないことを最優先してきた5年間で溜まりに溜まった「やらなくてもいいこと」を少しずつやっていくと
なんだかさらに心がほぐれていくようで
ある日
淹れたコーヒーから立ち上る湯気があまりにも美しくて
ただぼんやりをの湯気を眺めている
そんな自分に驚いて
そんなことに驚く自分にも驚いて
今までのわたしはそんなに余裕が無かったのか
元々生産性を求めがちな性格ではあるのだけど
そこまで無駄を排除していたのか。。。。。
休んでこなかったわけではない
丸一日お布団から出ないでダラダラ過ごす、なんて日も月に何度かあるし
今日は体が動かないからのんびりしようと決めて過ごす時もあった。
でも
体を休めるためにただただ何もしない、のと
ただただゆっくりと普通の生活をしていく、は全く別物だったのだ。
頑張ってOFFにした時は、頑張って普段やれないこと(本を読んだり映画を観たりゲームに夢中になったり)をした。
そして頑張ってOFFにするということはONも強制的にやってくる。
ONもOFFも無く
普通に今日、やることが有ればやる、程度。
こんなことが出来てなかったのか、5年間。
茅が全滅したから
絶望したから
もらえたこのギフト。
のんびりしている。
いいんだ、これで。
チセが建たなくても
何かを作らなくても
頑張って休まなくても
さぁ、一緒に横になって犬と猫を撫でよう。