あ し あ と 。

生きてます。自由に。

お金のはなし。その3

お金は【自分の魂が求めていることを実現させるため】のアイテムであり

求めるべきことはお金そのものではなく「自分のやりたいこと」を見つけること。

yukikoashiato.hatenablog.com

 

【自分の魂の願望】を見つけるためには【自分自身と繋がる】ことが必須条件

yukikoashiato.hatenablog.com

 

つづき。

 

 

 

その3では【お金が無いという不安】がそれを現実化してしまうという話をもう少し深めます。

 

 

まずはわたしの体験談をひとつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年、夫が会社を辞めた。これからどうするか、なにも決まっていなかったが

「とりあえず、予定を決めずに旅に出よう」と車中泊で日本を適当に巡る最初のゆだねきる旅がスタートした。

 

 

出発して2週間後、栃木入り。栃木といえば大麻の師匠である、大麻農家の大森さんへ会いに行かねばならん、ということで直前の連絡にも関わらず(しかも前の日でも次の日でも不在だったというドンピシャな日に)会うことができた。

 

大森さんは不思議なひとで、一度話し出すと一気に語り、急に終わって素にもどる、というところがある。

ただの一方的なおしゃべり好きとかではなく、まるでその場で「御神託を降ろす」ような感じ。

その時も会社を辞めたことを告げるとお告げが降りて語りが始まった。

 

夫に向かって

「これからはあんたがお金の管理をするんだ。そして、それが会社の金だろうが家の金だろうが、金が無くて辛いときに、女房(わたし)に絶対言っては駄目だ。

無くても有るふりをして笑っていろ。絶対に辛い素振りを見せてはならない。」

というようなことを告げた。

 

(もちろん、他にもたくさん励ましやアドバイスをいただいた)

 

栃木で夫と一緒にこれを聞いたときは、正直不思議だった。

もし、これから二人で一緒に頑張るとしたら

お金のこともふたりで相談して、隠し事無くやっていきたい、と思っていたからだ。

 

 

旅が終わって、成り行きにまかせていると夫が会社を立ち上げることになり

そこからお金の管理は夫に任せ、わたしはお給料というかたちで夫からお金をいただくことになった。

そういう生活になりしばらくして

あれはいつだったか、、、、覚えていないけど

ある日、夫が苦言を呈してきた。

「あのさぁ、カードの引き落し額が多いんだけど・・・使いすぎじゃない?」

「!?」

 

そんなことを言われるほど使ってると思ってないから、びっくり。

そしてそのときは、そうなのか・・・気をつける、ような旨のことを伝えたと思う。

 

しかしそれからが大変。モンモンモンが止まらない。

 

謂われない話ではないか。

わたしはどちらかというと質素だぞ。

普通の女性なら、化粧品やら美容室やら新しいお洋服やらバッグアクセサリーやらでもっと金かかるぞ。

わたしなんて手作り化粧品だし髪は夫に切ってもらうし服なんかお古ばっかだぞ。

金がかかってるとしたらおまえさんたちに食わせる質の良い食料品とか酒とか外食とか日々の温泉とかだぞ。

そこ削ってもいいんか!?

文句があるなら毎日玄米とごま塩だけにすっぞ!?

会社員時代あんたがカメラやらPCやら好き放題買ったってこっちは文句言わなかったぞ!?

 

と、だんだんと腹が立ってきた。

 

数日後、ブチ切れて上記のようなことを全部、言った。

夫は謝った。

 

その時は大森さんに謂われたことは忘れていた。

けど、その後、あの言葉の意味を理解した。

 

またしばらくして

夫から会社が赤字だ、ようなことを聞いた。

特に深刻な様子もなく、酒を飲みながらの会話で

まぁ決算的に今年はね〜みたいな感じだった。

 

が。

 

これがまた良くなかった。

 

 

喉に刺さった小骨のようにチクチクするのだ。

 

 

数日後、今度は泣きながら頼んだ。

 

「大森さんにああ言われたではないか、わたしにお金が無い話はしないで欲しい」と。

 

 

 

わたしに「お金がない」と伝えると、どういうことが起こるか。

 

 

一度目は怒り、それを発散することで済んだ。(あれも我慢して溜め込んでいたらマズかっただろう)

これが二度三度、いや、もし毎日のように「お金がない」と愚痴られたらどうなるか。

 

 

 

不安に引きずられるのだ。

 

 

純粋に今食べたいものを食べ、今飲みたいものを飲み、今行きたいところに行き、今会いたい人に会いに行く、それでやってきたのに。それでいいはずなのに。

 

 

それが否定され一気に重いほうに持っていかれてしまう。

自分の中ではコントロール出来ていても、自分以外の「無くなったら恐ろしいことが待っているかもしれない」という【念】で見事に引きずられていく。

 

そして、それが「現実を創って」しまうのだ。

 

お金が無いと聞く→不安になる→お金を使わないよう我慢する→やりたいことをやらない→自分の魂に嘘をつく

その結果どうなるかは痛いほど良くわかってる。

 

わたしがそうなってしまうことで家の中も、会社の中も重い方に引きずられていく。

夫がどんなに軽い気持ちで言ったとしても、念はどんどん重い方に引きずられ、結果だって重くなるのだ。

そんな最悪の結果が出てしまう前に不安を拭うことが出来たから良かったものの・・・

 

特に女性はそういうものの動きや違いに敏感だ。

そして影響力も大きい。

 

女性は笑っていなくてはいけない。

不安にさせてはいけない。

それが家庭のためであり会社のため。

 

大森さんが言いたいのはこういうことだったのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

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栃木の大森さんと。格言をいただいた。



 

 

ちょいと長くなりましたが

5年前、夫が会社員を辞め(固定の給料が入らなくなる)独立し(上手くいくかもわからない)わたし自身がまだまだ不安定だったのですぐに不安という重いほうに引っ張られていました。

 

5年間で実感しているのは

わたしが不安になって重くなるとハッピーじゃなくなって、入ってくるものも入ってこなくなる

いつも笑ってハッピーでいればその時に必要なもの(お金とは限らない)はちゃんと入ってくる、ということ。

 

 

 

今のわたしは「いや〜うちは金持ちだからなんにも困らないんだよね!」と言葉に出すようにしています。

犬猫にも「あんたたち、金持ちの家に来て良かったね!」とか。

そんなこと言ったら高慢ちきでいやらしい感じがするかもしれませんがそんなの関係ねぇ。

だって、本当に何も困ってないもの、今!

それを聞いた友人も「うちもさ〜w」というタイプだし。

みんな豊かでござる(*´ω`*)

 

 

 

 

その1でも書いたように不安がその現実を作ります。

 

「心配はネガティブな祈りである」

心配性のひとには良く伝えるんだけど、心配すればするほど、その心配が現実化します。

不安も同じ。

 

「〜になったらどうしよう」「〜になってしまうかもしれない」「〜になりませんように」

この重〜〜〜〜い心配不安の執着は

「〜になりますように!」の念と同じになってしまいます。

 

同じ理由でわたしは災害のときとかに呼びかけたりする集団瞑想とかもおすすめしないんですよ!

その集団の中でみんながみんな、軽い念を送れるとは限らない。

重い人が多かったら、そっちに引きずられていくわけで。

不安や心配が元になってる人が大勢で瞑想なんて・・・呼び寄せてるのと変わりません。

(わたし個人的にはそういうときは徹底的に自分自身の記憶をクリーニングします)

 

重い念はコワイんですよ、まじで・・・

 

逆に軽ければ有効に使える。

漫画「イティハーサ」で巫女と村人全員で祈って(円陣や石の力や真言告も使っている)赤ん坊の命を助ける場面がありますが、そういうことも可能ではあります。

 

 

 

もし、今、きちんと収入があってすぐに困るようなことが無い人なら

とにかく「大丈夫」と【自分で決める】ことです。

現時点で困っていないなら、【何も困っていない今】が続けば良いだけの話です。

自分で勝手に不安になって、それを自分で現実化して嘆く、なんてひとりマッチポンプ、アホらしいですよね。

 

 

今現在、借金があるとか収入が無いとかいう場合

ソレは原因も人それぞれでしょうからなんともですが

 

わたし自身、無職で無収入で借金まみれだったこともあります。

それでも今までこうして生きてこれたのは、

今こうして何不自由無く生きていられるのは

 

世間に迎合しなかった

 

というのも大きいと思います。

 

どんなに貧乏でも、泥まみれでもかっこ悪くても

精神も肉体も病んでボロボロになっても。

頭を下げて得る【それなりの暮らし】なんか拒否して来ました。

 

「おまえらには絶対負けないぞ!」という気持ちだけは捨てませんでした。

 

 

その1でも書きましたが

今、ウイルス騒ぎで自分がやるべきことを自粛しちゃったり

お金のために誇りを売り払うようなことしていると

もう、今後は救われないと思いますね。

(まぁ、騙されていることも気づいていない時点でアウトですが)

世間がどうあれ、白い目で見られようと、自分は自分の生き方をするんだ、という強い気持ちがあるひとはこれからも大丈夫だと思います。

 

なんてったって、絶対守られるからね。

自分自身を生きているひとは。

 

なので、しっかりと自分の意志で自分は大丈夫と決めて、不安に負けずやるべきことをやっているだけで良いのです。

何不自由無く暮らせますよ。

 

なんてね、簡単に書いてますが「そうは簡単にいくか」というのもわかっております。

が、やらなきゃ一生そのままなので。

少しずつでも意識を変えていかないとね。

 

 

 

2年前のブログで(まだ茶番だと気付いてないですが)最初に書いた、わたしが見た夢。

yukikoashiato.hatenablog.com

 

 

 

ずらりと並ぶ、「まだ死んでないだけ」のひとりになりませぬよう・・・・