あ し あ と 。

生きてます。自由に。

サヨナラ、カミサマ。

あーあれも書きたい、これも記録として残しておきたい、と思いつつブログまで手が回らず

ワタワタとしているうちに年が明けてしまいました。

 

と言っても、年々「お正月」らしいことはしなくなり

大掃除もしなければおせちも作らない

天気が良ければ外作業、悪ければ家でものづくり。

昨日(大晦日)は昼間っから飲んじゃったりしたけれどいつもと同じ日常です。

むしろ夫の仕事が無い分作業に時間を使えるのでいつもより忙しいぞ!

 

 

今年一発目のネタはどれにしようか悩んだのですが

新年ということでタイトル通りのネタを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは3年前までは

晦日には年越しの大祓のため神社へ行き(6月には夏越の大祓も)

元旦には初詣に行く人だった。

国内の主要な神社はほぼ巡っているし

旅で新しい土地に入れば先ずは神社へご挨拶

神社検定も持っているし

毎朝神棚に手を合わせる。

日々何かあれば、何もなくても、神様に向かう人だった。

 

 

だった。

過去形。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年が明けたので丁度2年前になる。

友人が奄美大島に黒糖作りを手伝いに行くと言うので「わたしも行きたい!」と手を挙げ、コロナ禍が始まりかけの3月、友人二人と共に奄美へ飛んだ。

 

詳細は省くが結局トラブルがあり、わたしと一人は黒糖作りのお手伝いは参加しないことになった。

もう一人は残って手伝う、とのことで

二人はそれが終わるまで奄美で待つことになった。

どうせなら観光しよう、ということで安宿をとりレンタカーを借り、4日間過ごした。

もちろんそんなつもりじゃなかったので何の下調べも予備知識も無く。

わたしの得意な「ゆだねきる旅」はそれは見事に全て組み立てられ毎日が奇跡の連続だった。

「行き当たりばったりでこんなに次々に満たされて楽しめるんだね」と心配性の友人も驚いていた。

この時に体験したことは今の、そしてこれからのわたしにとって必要なことばかり。

やっぱり偶然でも奇跡でもなく必然だったんだなぁ、と今でも思う。

 

 

友人二人はその後沖縄に行く予定で、わたしは一人で北海道へ帰ることになっていた。

 

その帰る前日、入った食事処で帰り際に店員さんに「ユタには会ったのか」「ユタといえば〇〇さんだ」と聞いてもいないのに話しかけられ

二人できょとんとしつつ「そういえば、ここらはそういう人がいるんだよね〜」とその夜ホテルで携帯で検索してみた。

教えてくれた〇〇さんは有名なユタらしく、簡単には予約が取れないとあった。

それほど興味も無かったのだけど南国生活に詳しい友人に「〇〇さんって知ってる?」とメールしてみた。

翌朝、携帯をチェックするとその友人から「〇〇さん、すごいよ!会った方がいいよ!今、電話したら10時からなら空いてるらしいから代わりに予約しておいたから!」と返信が来ていた。

え〜〜〜〜!?人の予定も聞かずに勝手に予約して、、、と驚いたが。

その日の飛行機は14時。間に合う。

 

まぁ、そういう流れなら、行きましょ。

 

 

友人と別れ、ひとりレンタカーで結構な田舎へ走る。

ナビをしているのになかなか辿り着けない。。。。

やっとそれらしき家に到着したが、不在のようでチャイムを鳴らしても声をかけても応答が無い。教えてもらった携帯に電話しても出ない。

途方に暮れていると二人連れの女の子が来て「誰も居ないみたい」と言うとかなり焦っていた。

彼女たちが電話をすると今度は出て「今帰るから家の中で待ってろ」と言われたらしい。

三人で世間話をしていると〇〇さんらしきおばあちゃんが入ってきた。

遅れた理由を捲し立てているが訛りがひどく、3割くらいしか聞き取れない・・・

 

大丈夫か?これで話聞けるのかな??

 

 

「はい、じゃあまずあんたね、どうぞ」と別室に呼ばれデッカイ神棚のような前に座る。

 

すると、デッカイ神棚に向かって、鐘のようなものを鳴らしながら祝詞のような歌を歌い始めた!

え?ええ?ええ???

そういえばさっき待っている間に読んだ本に

視る前に歌うことがある、それは降ろされて歌うものだから毎回違う、何を歌うかは本人もわからない、

と言うようなことが書いてあったな、そういうことなのか

と聞いていると歌の合間合間に神社の名前が出てくることに気がついた。

そしてよくよく聞いていたら、それは私が今までお参りしてきた神社の名前だった。

行ったことのない神社は一つも出てこなかった。

ええええ???これって偶然?こわっ!

 

そしてクルッと振り返り、これまたマシンガンのように語りが始まった。

 

わたしとしては悩みがあったわけでも、占って欲しいわけでも無かったので

いろーーーーんなことを言われたが、はぁ、はぁ、と聞いていた。

 

 

「あんたはね、今回はわたしに会いにきたんだよ」

「本来の目的は果たせなかったのはそういうことですか」

「そうだよ、それはここに来るためのきっかけに過ぎない」

 

それまで聞いていた話は「フゥン」程度だったので「何のために会いに来たんだ?」と不思議に思っていた。

 

 

そして最後に

「あんたのところの一番大きい神様は?」と聞かれ

神様であって神社は?と聞かれたわけではないけれど、普通に考えたら北海道神宮だよな・・・と考えていたら(声には出さなかった)

「とにかくその神様に今日のことを報告しなさい」と告げられた。

 

他にもアドバイスをもらってその日のうちに実行した。

 

北海道に戻って、翌日すぐに北海道神宮に行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北海道神宮もおおちゃん(大国主命)もわたしにとっては大切な存在だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だけど

 

 

その日、お参りした時にわかってしまった。

 

 

 

 

「違う」

 

 

 

 

 

わたしの中ですべてがひっくり返ってしまった。

 

 

 

そしてずっどーーーーんと肚に落ちてしまったのだ。

 

 

わたしのところの一番大きい神様は、わたしだ!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

それまでもサクちゃん(myウニヒピリ)と一緒に自分を愛し尊重し、というのはやってきたつもりだったけれど

まだまだ外に気持ちが向いていたのだな。

自分以外に頼るものが、よりどころが欲しかったんだな。

 

このことがあって、そしてこのウイルス騒動からの「わたしは間違っていなかった」という確信

 

yukikoashiato.hatenablog.com

 

 

わたしはわたしの現実を創造していけるという確信

 

わたしがわたしで居れば幸せしかない、という確信。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神様を崇めなくても仏壇に手を合わせなくても何か他の存在に救いや答えを求めなくても

わたしという存在を信じきるだけで完璧なのだ。

 

 

 

 

 

わたしはソトのカミサマとサヨナラした。

 

わたしは全てを知っているし

わたしは何一つ知らない。

そこでリミッターが外れるんだな。

瞑想中に、全ての意識を集中しながら全ての意識を全開放するような。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから先は自分の足で立って自分の力で歩める人しか本当の意味で生き残れないだろう。

 

ほとんどのヒトがそうであるように

騙され流され生きて奴隷だとも羊だとも気づかずに死んでいくのも

ある意味シアワセかもしれない

 

 

でも

そうじゃないなら

 

 

何のために生まれて 何をして生きるのか

答えられないなんて そんなのは嫌だ!

何が君の幸せ 何をして喜ぶ

わからないまま終わる そんなのは嫌だ!

 

なら

 

 

【世間の常識】からいかに離れるか

 

本当の自分といかに繋がれるか

 

まじでそれしかないです。

 

 

 

世間の常識との離れ方はまたそのうち。

 

 

 

とにかく、自分ですよ。

 

全ては自分の中。

外には何もありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

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